はじめに
本作は「月に叢雲花に蟲」の前日談となる短編です。(4.5万字程度)
少し作風が違いますので興味が無い方は読み飛ばしても「月に叢雲花に蟲」の お話上問題は無いです。
作者の遊びとして行っております、一時本作のタイトルにも使用した「妖刀百物語」にまつわる
プロット群の第一作目でもあります。◆
サムライ×フロンティア
Bullet◎01
1872年、北アメリカ大陸。
カルフォルニアのアメリカン川でジェームズ・マーシャルが金を発見してから20と4年。
今やゴールドラッシュ真っ只中のアメリカ合衆国は、南北戦争の傷跡も大分癒えて大西部開拓時代を迎えていた。
大陸横断鉄道が開通し、それに伴い多くの人々が金と� �ロンティアを求め西へと旅立った時代でもある。
その地はいまだ秩序なく、"法の外に置かれた者"(アウト・ロー)達が我が物顔で跳梁し、頼れる物は鉄の銃だけであった。
後世にフロンティア・スリットと呼ばれる州の内、カンザス州もまた例外なく大西部開拓時代の入り口として
無秩序の中のわずかな秩序を拠り所に時代を謳歌する事となる。
タウン・オブ・ミスフォーチュン(逆境の町)もそんなカンザス州のはずれにある、極々"普遍的"な町の一つであった。
ただ一つ。
その名が示す通り、町はカンザス・シティやドッチ・フォートからは遠く、土地も痩せこけおまけに大陸横断鉄道からも
はるかに離れた場所にあって、西を目指す者も東へ行く者も誰一人として立ち寄らない、辺鄙な� �だと言うことを除けば、だが。
町、とは言っても100年後の全世界で銀幕に登場するような家々が中央通りに立ち並び、酒場のウエスタンドアをガンマンが押しのけ
あるいは激しく開閉させながら通りに出て、スパニッシュ・モス(回転草)が転がる中決闘を行うような整然とした光景が広がるわけではない。
ありあまる荒野の中、まるで無秩序にぽつりぽつりと酒場兼ダンスホールが、服屋が、鍛冶屋が、雑貨屋が、農場が点在するばかりである。
町はその名に相応しく、灼熱の時代を迎えるアメリカから早くも取り残され、訪れる者と言えばアウトローか牛泥棒位であるためか
元入植者達は自虐的にそして親しみを込めて、ミスフォーチュン(不運、逆境、不幸、災難)と己の町の名を口にするのである。
� ��何故彼らは厳しい生活を捨て、希望が待つ西へと向かわないのか。
何故彼らはあえて肥沃な地が多いカンザスにあって、作物もろくに育たない、荒野ばかりが広がる地に必死で根を下ろし続けるのか。
何故彼らは不名誉な名を持つ町を愛する事が出来るのか。
答えは、そこで生きる者にしか与えられてはいなかった。
しかし酒場で酒を楽しむという行為は、間違いなく彼らが辛い生活を生き抜くには不可欠なものであり、第三者でも分かる彼らの生き甲斐であろう。
そんな理由でミスフォーチュン唯一のバーである『ワイルド・ブル』は、その夜も大いに賑わっていた。
田舎町の酒場兼ダンスホールは狭く雑多として、荒野の闇に音楽と光を儚げに漏らす。
店の外にはミスフォーチュンに居を構� ��る男達の馬が所狭しと繋がれて、それぞれの主の乱恥気騒ぎを尻目に時折いななき尾を揺らした。
月は半月。
しかし珍しく雲に隠れて、荒野を照らしてはいない。
アニーはそんな夜のオアシスに在って、いつも座るカウンター席に腰掛け、安物のバーボンを引っかけていた。
酒場はこれまたいつもと同じように誰かがギターを片手に歌い、皆陽気に踊ったり騒いだりしている。
あるいは片隅でコインをテーブルに置きながらのポーカーを行う者達や、いつも仲の悪いビルとマックが罵り合いを始める光景が広がっていた。
そんな光景を横目に、アニーは干したトウモロコシをつまみに酒を飲み、口説いてくる男共をあしらうのも又いつもの日課である。
が、その夜はほんの少しだけ"いつもの光景 "とは違う景色が、先程から彼女の目と耳に飛び込んでほろ酔い気分に水をさしていた。
「それで、その男の外見は?」
「うーん、そうね。背は低いわ。5フィートと少し(約155cm)かしら」
「中国系だって聞いてるけど?」
「ううん、最初はチャイニーズだと思ってたのだけど、"チクゼン"って国の出とか言ってたわ」
「年は? 髪と瞳の色は?」
「年は……私よりずっと上ね。瞳も髪もビックリするくらい黒いわ。見た目はチャイニーズやインディアンに近いかも」
「魅力的だった?」
質問にアニーは年に似合わない妖艶な笑いを浮かべて、一口手にしていた安物のバーボンを啜る。
彼女の隣で熱心にメモを取り、文字通り根掘り葉掘りと質問を投げかける記者の男は、じっとその様子を瞬きも せず見つめ続けた。
男勝りなカウボーイスタイルの服装と短く肩までしか伸ばしていない金髪の髪は、彼女の美貌を損なうこともなく、それどころかなかなか"様"になった仕草である。
30かそこらであろう若い記者は、一瞬彼女の色香に気をとれながらも既にメモを終えた"アニー"のプロフィールに目を落とした。
彼女が16の時、ひょんな事から夜中に忍び込んできた牛泥棒と銃撃戦になり、結果父親と母親、それに二つ下の弟を亡くしたのだとか。
ここらでは一家総出で夜盗との銃撃戦の末に全員死ぬなんて事は、不幸ではあるが決して珍しいことではない。
記者はそんな、彼女の不幸な過去を取材に訪れて居たわけではなかった。
カンザスの見捨てられた町で起こった不思議な出来事。
その� ��を聞きつけ、当事者に取材をしているのである。
「……すごく、魅力的だったわ。今だって、追いかけてもう一度抱いて欲しいと思える位に」
喧噪に包まれる酒場にて彼女の言葉をどう聞き取ったのか、あちこちでひゅう! と野次と口笛が飛び交った。
そんな男共の茶々に、アニーは涼しい顔をしたまま乾燥させたトウモロコシを一つ二つと口中に放り込み、バーボンに口を付ける。
「と、いうと体は小さくて頼りないけれど優男だった? 意外だな、君のような女性はたくましく頼りがいのある男が好みだと思ってたよ」
「あら。彼はとてもたくましいわ。背が低いってだけで」
「そうなんだ?」
「ええ、そうよ。"確かめた"もの。鋼のような肉体、分厚い胸板、傷だらけの正面と、綺麗な背中。 あと無精ひげ。どれも最高だった」
「はは、妬けてくるね。嫉妬してしまうから、彼の特徴はここら辺にしておこう。じゃあアニ-、彼との馴れ初めを教えてくれるかい?」
「いいわ。始めて彼と会ったのは……そうね、今日と同じような夕暮れだったわ」
そう言ってアニーは始めて後を振り返り、酒場の入り口に設えられたウエスタンドアを顎で示して見せた。
記者の男もつられて振り返る。
そこには極々普通の、少しガタの来た扉が見えるばかりだ。
しかし。アニーの美しい緑の瞳には、その光景が見えているのだろう。
彼女はそれから夢心地に語り始める。
奇跡のような一夜に到る日々を。
◆
今年で19になるアニーの牧場は、そんなタウン・オブ・ミスフォーチュンにあって南 の外れに位置していた。
牧場は遙か東に位置する森や、数十年前南に移住させられた先住民であるチェロキー族の居留地から遙かに離れており
彼女の暮らしを脅かす者は精々、鶏を狙うコヨーテかささやかな畑の恵みを左右する気まぐれな気候位であった。
ほんの数年前はそれに牛泥棒が加わっていたのだが、ある日不幸にもその現場と彼女の父親が鉢合わせてしまう。
当然、一家総出で銃を手にこれを追い払おうと撃鉄を起こすのであったが、その夜は運の悪い事に牛泥棒達も反撃をしてきた。
彼らは大概は"法の外"に置かれた者、アウトローでもある。
その大多数は北のカンザス・シティや東の大都市で法を犯し、市民権を剥奪された者だ。
市民権を剥奪され、法の外に置かれた者は大挙して 荒野へと逃れてくるのが一般的である。
そのまま都市に居続けても殺され身ぐるみをはがれるのがオチだからだ。
彼らに対して何をしようと罪には問われない。
故に"法の外に置かれた者"(アウトロー)。
これは逆に、彼らが生きて行くには更に犯罪に手を染める必要がある事を意味した。
腕っ節に自信がある者はアウトローガンマンとして方々を荒らし、あるいは義勇に生きるのであるが、大半は夜中にコッソリと盗みを働く小悪党に成り下がる。
牛泥棒などがその最たる者であり、大抵は命の危険を冒して反撃などしてはこないのだがこの者達は違ったらしい。
闇の中、普段はのどかな牧場に激しい銃撃の音が響く。
当時16であったアニーも物陰に隠れ、幼い頃から父親に仕込まれて� �た仕草で銃を構え、チカチカと光る相手の銃口の光目がけて必死に引き金を引き続けた。
相手は4人。
此方も父親と母親、そして二つ年下の弟の4人。
一つ、二つと銃声が減っていく。
この時、アニーは相手が一人、二人と逃げ出してしまっているのだと考えていた。
銃の名手で感謝祭の時期にはいつもバッファローを仕留めてくる父親が、同じように牛泥棒を仕留めているのだと思っていた。
銃声は自分のものを除き、あと二つ。
その夜、初めて人に向けて銃を撃つ少女は気付く事ができない。
なぜ銃声が二つしかないのかを。
やがて、銃声は無くなった。
気が付くと自分が闇雲に撃っている銃声のみとなっていたのだ。
我に返った16歳になったばかりのアニーは、静寂に気� ��付き父と母、弟の名を順に呼ぶ。
しかし、返ってくる声はない。
程なく、彼女は町の名に相応しい想いを胸に抱く事となる。
最初に見つけた弟は、頭に銃弾を受けて納屋の影で冷たくなっていた。
そんな弟に駆け寄ろうとしたのか、母も家の正面を横切ろうとした格好で事切れていた。
最後に見つけた父は、流れ弾に当たり死んだ牛の物陰で仰向けに倒れていた。
何度も顔を埋めて甘えたその胸には、大きな血染みが滲んでいる。
まだ少女とも言えるアニーは不思議と呆然とし、そのまま自失して夜を明かした。
少女は日が昇り、家族を牧場の片隅に葬った後初めて泣いたのである。
西部においてごく普遍的なその記憶は少女が19になった今も薄れることなく、日々は過ぎ去っていく� ��
家族を弔った後、確認した牛泥棒の死体は3人分。
1人、足りなかった。
そして、あの夜以来牛泥棒が彼女の牧場に現れることは無い。
「どうしたの? クララベル」
いつものように随分数の少なくなった牛を柵に追い込んだ夕暮れ、彼女の愛馬がいつもとは違ういななきをした。
何かに怯えるような、または警戒するようなその様子にアニーは反射的に銃を抜く。
この周辺の地形は全て把握している。
人や馬が隠れられる遮蔽物は無い。
コヨーテ?
……いや、日はまだ明るいし、牛を襲うとは考えられない。
もしや、野盗の類が潜んでいるのだろうか?
考えがそこに及んだ瞬間、アニーは素早く馬から下りて首を左右に振った。
把握している人が隠れられそうな 場所の様子を確認するためだ。
少し背の高い草の揺れ方。
鳥の鳴き声と動き。
その、どれもに異常はない。
しかし、あの夜以来極端に臆病になってしまったかつての父親の愛馬は、ある一点を見詰め警戒するかのようにもう一度いななく。
愛馬の向いた先は昔、母親が畑を作ろうとした辺りであり、少し背の高い草が生い茂っていた一角であった。
アニーはその場所を銃を構えたまま、眉間に皺を寄せてじっと観察する。
同時に、その白く艶めかしいうなじから背中にかけて一斉に総毛立ち、冷たい汗が全身から吹き出始めた。
不自然に藪の草が倒れているのを見つけたからだ。
あまり観察はしていなかったが、朝はあんな草の倒れ方はしていなかったはずである。
つまり、あそ� �にだれかが居る。
コヨーテではない。
アレはそんなマヌケな生き物ではない。
そして、この荒野であんな風に牧場の近くで隠れる必要のある者なんて、そう多くはなかった。
せいぜい、牛泥棒か野盗くらいなものである。
ただ、彼女にとって幸運か不運か、そこに隠れている者はマヌケの類のようであった。
アニーは姿勢を低くしてから銃を構え、草が倒れた藪めがけていきなり発砲した。
女一人、荒野に住んでいるのである。
彼女の行動は決して過剰な物ではない。
果たして、変化は起きなかった。
どうしたものか少し迷った後、アニーは銃を構えたままゆっくりと藪に近寄りはじめる。
気のせいであるならばそれでいい。
倒れた草は自分が気がついていないだけ� ��元々そうであったかもしれないし、クララベルが反応したのは野ネズミか何かだったのかもしれない。
もしくは、藪に潜む者に銃弾が命中していて、命を奪ってしまっているのかもしれない。
それが牛泥棒なのか、最近熱心に口説いてくるビルなのかはわからない。
もし、下心でも持ってビルが潜んでいたとしても、それは自業自得だ。
荒野ではいたずらに疑わしい行動を行って銃弾を撃ち込まれても、それは本人が悪いのである。
そもそも、ビルにしたってそこまでマヌケではないはずだ。
やはり牛泥棒か?
アニーは冷や汗を流したまま、めまぐるしく思考を行い慎重にたどり着いた藪をかき分けた。
神経を集中し、何時銃口やダイヤモンドバックスガラガラヘビが鎌首をもたげても反応� ��きるよう全身の感覚を研ぎ澄ます。
やがて、かき分けた草の向こうにチラリと衣服のような物が見えた。
――やっぱり。
だれか、いる。
緊張は更に高まり、心臓は激しく鳴った。
もう一度、今度は銃の引金に指をかけながらゆっくりと草をかき分ける。
やがて視界に飛び込んでくる、地に伏した人の姿。
真っ先に目に入ったのは、ボロボロの外套の内側から盛り上がった、なにか。
恐らくは杖かなにかが引っかかっているのだろう。
うつぶせに倒れているその人間は、どうやら男のようであり、背は低かった。
格好からインディアンではなさそうだ。
この辺りでは珍しいチャイニーズだろうか?
どちらにしろ、外套のフードがずれて見えている漆黒の髪は初めて見る ものであった。
アニーはそこで一端思考を中止し、銃を構えたままつま先を倒れている男の肩の下に差し入れてグイを上に上げる。
男はあっけなくごろんと転がって、今度は仰向けになった。
顔や服装がハッキリと見えて、アニーは怪訝な表情を浮かべる。
男はやはりチャイニーズであるようだ。
少なくとも、白人や黒人ではない。
もしかしたら白人化したインディアンかもしれないが、恐らくは東洋人であろう。
年の頃は……わからない。
30やそこらではきかないとは判断できるが、西洋人であるアニーにとって初めて見る東洋人の年齢の判別は困難であった。
顔はやせこけ、皺と何かの切り傷がこめかみからあごにかけて一筋見える。
薄く無精ひげを生やしており、口ひげと� ��ごひげが繋がりつつあったが、この辺りの男達ほど濃くはなかった。
奇妙な藍色のだぶだぶの着物を着用しており、腰のあたりにある黒い奇妙な形の、二本の棒のような物が特に目を引いた。
恐らくは、仰向けであったときに外套を押し上げていたのはこの棒であろう。
一本は長く、もう一本は長い方のミニチュアのような作りだ。
「ぐ、む……」
男は、不意に呻いた。
知らず観察に全神経を傾けていたアニーは、警戒を怠っていた事実を思い出し同時にビクリと肩を跳ね上げ引き金を引いてしまう。
銃はズドン、と音を立てて仰向けになった男の脇腹辺りに向かい硝煙が一瞬ほとばしる。
「あが!!」
今度は先程よりも更にハッキリとした声で男は悲鳴をあげた。
どうやら男� ��とりあえずは生きているらしい。
ハッキリとはしないが牛泥棒や野盗の類でもないようだ。
心当たりなどありはしないが、郵便配達人でもなさそうである。
――やっぱりインディアン? いや、チェロキー族はこんな格好はしない。
もしかして他の部族の使いかなにかで、南のチェロキー族の所に向かっている途中だとか?
アニーははっとした。
男がチャイニーズである場合、そもそもこんな所に居る事は不自然だ。
噂に聞く彼らは遙か西のカルフォルニアで金を掘るか、鉄道工事現場で働くのが自然である。
ここらには金も出ないし、鉄道も遙か北でしかもすでに完成している。
そうだ。
この男は、自分が知らないインディアンの部族に違いない。
恐らくは、南に移住� �せられたチェロキー族の居留地に向かう途中行き倒れたのだろう。
もしかしたら、チェロキー族が南に移住したのを知らなかったのかもしれない。
だとしたら、すごく、まずい。
話に聞くインディアン達は、恐ろしく好戦的で誇り高い。
きっと、使者が白人に殺されたと知れば報復にやってくるはずだ。
ただでさえ、この辺りの白人とチェロキー族は土地を巡って争い続け、数十年前にやっと協定を結んでなんとか解決できた経歴がある。
いまさら、これ以上の"ミスフォーチュン"を抱え込んでたまるものか。
「ちょっと! しっかりして! あんた、こんな所で死ぬんじゃないわよ!」
『――ぅ、ぁ、脇腹……』
「ほら! 手当してあげるから、立って!」
アニーは銃をホルスタ ーに押し込み、仰向けに倒れている男の左腕を取った。
そのまま肩に回して、思いっきり引っ張り上げる。
男は背が低い割に重く、しかし意識と体力は多少残っていたのか、彼女の介助にわずかながらも地に足を突っ張って身体を支えようとした。
「あんた、言葉わかる? "WAKIBARA"ってさっき呟いたけど、連中の言葉しかしゃべれないのは勘弁してよ?」
「……れ、……だ」
「何?」
「止ま、れ。ヘビが、そこに」
瀕死の男は、流暢な英語を口にした。
アニーは引きずるように男の左腕を肩に回したまま、すぐそばで力なく項垂れる男の顔を見る。
その目はうっすらと開き、かさかさに乾いてひび割れた唇とすえた臭いが印象的であった。
それから男の視線を追うと自分� ��すぐ足下にとぐろを巻いたヘビの姿が確認できた。
いつの間にそこにいたのか。
それとも、最初から居て男に気を取られた自分が見逃していたのか。
ガラガラヘビは威嚇音を鳴らし、今にもアニーの足に襲いかからんとしていたのだった。
まずい。
銃を……いや、まにあわな……
キン。
様々な思考と焦りが往来したその一瞬に割り込む金属音。
アニーが"それ"を認識する間もなく、足下のガラガラヘビは巻いたとぐろごと二つに割れて絶命した。
同時に腕を担いだ男の身体から力が抜ける。
「え? 何? あんた、何したの?」
混乱するアニーの問いかけに、男は何も答えない。
ただ何時手にしたのか、その右手には短刀のようなものが握られており、するりと力� ��抜けた男の手の内から下へ落ちて大地に刺さった。
アニーは完全に脱力した男の身体を支えきれず、もつれ込むように地面へ倒されてしまう。
夕暮れ、随分と日が沈んだとはいえ、灼けた大地はいまだ熱く硬かった。
男に押し倒される形で転んでしまったアニーは、完全に意識を失った、男の腕の下から這い出て二つに割れたガラガラヘビを蹴飛ばし悪態をつく。
それからもう一度男を抱え上げようとして、目に強い光が飛び込んだ。
光は先程男が握っていた少し長めの短刀が夕日を反射したものであった。
アニーはその時初めて、男が持っていたあの短い方の棒が刃物であったと理解する。
短刀は不思議と見る者を引きつけて、今更ながらにアニーはしばしその美しい刀身に魅入ってしまった。
それは19になったばかりの彼女が初めて『脇差し』を見た時の情景であり、生涯彼女の追憶として残る光でもあった。
Bullet◎02
「それでね、後で聞いた話なんだけど"WAKIBARA"ってのはあの人の国の言葉で脇腹の事だったのよ」
カンザスの田舎町、ミスフォーチュン唯一のバーである『ワイルド・ブル』のカウンター席に座るアニーは、そう言いながら手にしたグラスを煽った。
場所はアメリカ合衆国のカンザス州。
大陸横断鉄道が完成し、ゴールドラッシュに沸く1872年の事だ。
彼女の話を隣に座り熱心にメモを取りながら聞き入る若い30才程の男の記者は、ついそんな彼女の白いのど元に目を奪われてしまった。
記者は酒を流し込み、艶めかしく動く彼女の喉から意識を離そうと アニーがそうしたように自身も手にしたグラスを一気に煽り、むせてしまう。
その様子を観察していたのか、無愛想なバーテンの親父が二人の空になったグラスへ新しくバーボンを次いだ。
ちゃっかり、先程二人が飲んでいた物よりもほんの少しだけ上等な物を。
恐らくは、記者がアニーの隣に座り、話を聞かせて貰う代わりにすでに手にしていた酒を含めて今夜は奢るという台詞を聞いていたのだろう。
「えっと、その彼は"チクゼン"の国の出だっけ? それは一体、どこにあるのか聞いた?」
「詳しくは聞いてないわ。ただ、中国の隣って言ってた」
「中国、ねぇ。北に隣なのか、南に隣なのか、はたまた東に隣なのかピンと来ないね。フランスの隣とかなら調べようもあるんだけれど」
「少なくと もメキシコでは無いみたいね」
アニーはそう言ってから、干したトウモロコシを一つ口の中に放り込み、ポリポリと音を鳴らす。
記者は忙しなくペンを走らせ続け、彼女の話を素早く書き留めていた。
間を置かず、動かしていた手を止めて今度は再び少し上等なものになったバーボンを煽る彼女に質問を投げかける。
「それで? ガラガラベビを鮮やかに斬った彼をその後どうしたの?」
「まずナイフを拾いあげて、彼の腰にあった鞘に納めたわ。で、彼の腰に戻してから彼の足にロープを括ってね」
「ロープ?」
「彼、重かったのよ。すごく」
「と、言うことは太っていた?」
「あなた、ちゃんと私の話聞いてた? 彼、すごくたくましいのよ? 重いのはたぶん、持ち物だったと思うわ」
� ��ははは、ごめん。それで?」
「クララベルに引っ張ってもらったの。家までね。今して思うと、すごく可哀想なやり方だったとは思うけれど」
「まるで、馬引きにされる牛泥棒だね」
「否定はしないわ。流石にクララベルを走らせたりはしなかったけれど」