2012年4月26日木曜日

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 はじめに
 本作は「月に叢雲花に蟲」の前日談となる短編です。(4.5万字程度)
 少し作風が違いますので興味が無い方は読み飛ばしても「月に叢雲花に蟲」の お話上問題は無いです。
 作者の遊びとして行っております、一時本作のタイトルにも使用した「妖刀百物語」にまつわる
 プロット群の第一作目でもあります。

 サムライ×フロンティア

 Bullet◎01

 1872年、北アメリカ大陸。

 カルフォルニアのアメリカン川でジェームズ・マーシャルが金を発見してから20と4年。
 今やゴールドラッシュ真っ只中のアメリカ合衆国は、南北戦争の傷跡も大分癒えて大西部開拓時代を迎えていた。
 大陸横断鉄道が開通し、それに伴い多くの人々が金と� �ロンティアを求め西へと旅立った時代でもある。
 その地はいまだ秩序なく、"法の外に置かれた者"(アウト・ロー)達が我が物顔で跳梁し、頼れる物は鉄の銃だけであった。
 後世にフロンティア・スリットと呼ばれる州の内、カンザス州もまた例外なく大西部開拓時代の入り口として
無秩序の中のわずかな秩序を拠り所に時代を謳歌する事となる。

 タウン・オブ・ミスフォーチュン(逆境の町)もそんなカンザス州のはずれにある、極々"普遍的"な町の一つであった。
 ただ一つ。
 その名が示す通り、町はカンザス・シティやドッチ・フォートからは遠く、土地も痩せこけおまけに大陸横断鉄道からも
はるかに離れた場所にあって、西を目指す者も東へ行く者も誰一人として立ち寄らない、辺鄙な� �だと言うことを除けば、だが。
 町、とは言っても100年後の全世界で銀幕に登場するような家々が中央通りに立ち並び、酒場のウエスタンドアをガンマンが押しのけ
あるいは激しく開閉させながら通りに出て、スパニッシュ・モス(回転草)が転がる中決闘を行うような整然とした光景が広がるわけではない。
 ありあまる荒野の中、まるで無秩序にぽつりぽつりと酒場兼ダンスホールが、服屋が、鍛冶屋が、雑貨屋が、農場が点在するばかりである。
 町はその名に相応しく、灼熱の時代を迎えるアメリカから早くも取り残され、訪れる者と言えばアウトローか牛泥棒位であるためか
元入植者達は自虐的にそして親しみを込めて、ミスフォーチュン(不運、逆境、不幸、災難)と己の町の名を口にするのである。

� ��何故彼らは厳しい生活を捨て、希望が待つ西へと向かわないのか。
 何故彼らはあえて肥沃な地が多いカンザスにあって、作物もろくに育たない、荒野ばかりが広がる地に必死で根を下ろし続けるのか。
 何故彼らは不名誉な名を持つ町を愛する事が出来るのか。
 答えは、そこで生きる者にしか与えられてはいなかった。
 しかし酒場で酒を楽しむという行為は、間違いなく彼らが辛い生活を生き抜くには不可欠なものであり、第三者でも分かる彼らの生き甲斐であろう。

 そんな理由でミスフォーチュン唯一のバーである『ワイルド・ブル』は、その夜も大いに賑わっていた。
 田舎町の酒場兼ダンスホールは狭く雑多として、荒野の闇に音楽と光を儚げに漏らす。
 店の外にはミスフォーチュンに居を構� ��る男達の馬が所狭しと繋がれて、それぞれの主の乱恥気騒ぎを尻目に時折いななき尾を揺らした。
 月は半月。
 しかし珍しく雲に隠れて、荒野を照らしてはいない。
 アニーはそんな夜のオアシスに在って、いつも座るカウンター席に腰掛け、安物のバーボンを引っかけていた。
 酒場はこれまたいつもと同じように誰かがギターを片手に歌い、皆陽気に踊ったり騒いだりしている。
 あるいは片隅でコインをテーブルに置きながらのポーカーを行う者達や、いつも仲の悪いビルとマックが罵り合いを始める光景が広がっていた。
 そんな光景を横目に、アニーは干したトウモロコシをつまみに酒を飲み、口説いてくる男共をあしらうのも又いつもの日課である。
 が、その夜はほんの少しだけ"いつもの光景 "とは違う景色が、先程から彼女の目と耳に飛び込んでほろ酔い気分に水をさしていた。

「それで、その男の外見は?」
「うーん、そうね。背は低いわ。5フィートと少し(約155cm)かしら」
「中国系だって聞いてるけど?」
「ううん、最初はチャイニーズだと思ってたのだけど、"チクゼン"って国の出とか言ってたわ」
「年は? 髪と瞳の色は?」
「年は……私よりずっと上ね。瞳も髪もビックリするくらい黒いわ。見た目はチャイニーズやインディアンに近いかも」
「魅力的だった?」

 質問にアニーは年に似合わない妖艶な笑いを浮かべて、一口手にしていた安物のバーボンを啜る。
 彼女の隣で熱心にメモを取り、文字通り根掘り葉掘りと質問を投げかける記者の男は、じっとその様子を瞬きも せず見つめ続けた。
 男勝りなカウボーイスタイルの服装と短く肩までしか伸ばしていない金髪の髪は、彼女の美貌を損なうこともなく、それどころかなかなか"様"になった仕草である。
 30かそこらであろう若い記者は、一瞬彼女の色香に気をとれながらも既にメモを終えた"アニー"のプロフィールに目を落とした。
 彼女が16の時、ひょんな事から夜中に忍び込んできた牛泥棒と銃撃戦になり、結果父親と母親、それに二つ下の弟を亡くしたのだとか。
 ここらでは一家総出で夜盗との銃撃戦の末に全員死ぬなんて事は、不幸ではあるが決して珍しいことではない。
 記者はそんな、彼女の不幸な過去を取材に訪れて居たわけではなかった。
 カンザスの見捨てられた町で起こった不思議な出来事。
 その� ��を聞きつけ、当事者に取材をしているのである。

「……すごく、魅力的だったわ。今だって、追いかけてもう一度抱いて欲しいと思える位に」

 喧噪に包まれる酒場にて彼女の言葉をどう聞き取ったのか、あちこちでひゅう! と野次と口笛が飛び交った。
 そんな男共の茶々に、アニーは涼しい顔をしたまま乾燥させたトウモロコシを一つ二つと口中に放り込み、バーボンに口を付ける。

「と、いうと体は小さくて頼りないけれど優男だった? 意外だな、君のような女性はたくましく頼りがいのある男が好みだと思ってたよ」
「あら。彼はとてもたくましいわ。背が低いってだけで」
「そうなんだ?」
「ええ、そうよ。"確かめた"もの。鋼のような肉体、分厚い胸板、傷だらけの正面と、綺麗な背中。 あと無精ひげ。どれも最高だった」
「はは、妬けてくるね。嫉妬してしまうから、彼の特徴はここら辺にしておこう。じゃあアニ-、彼との馴れ初めを教えてくれるかい?」
「いいわ。始めて彼と会ったのは……そうね、今日と同じような夕暮れだったわ」

 そう言ってアニーは始めて後を振り返り、酒場の入り口に設えられたウエスタンドアを顎で示して見せた。
 記者の男もつられて振り返る。
 そこには極々普通の、少しガタの来た扉が見えるばかりだ。
 しかし。アニーの美しい緑の瞳には、その光景が見えているのだろう。
 彼女はそれから夢心地に語り始める。
 奇跡のような一夜に到る日々を。

 今年で19になるアニーの牧場は、そんなタウン・オブ・ミスフォーチュンにあって南 の外れに位置していた。
 牧場は遙か東に位置する森や、数十年前南に移住させられた先住民であるチェロキー族の居留地から遙かに離れており
彼女の暮らしを脅かす者は精々、鶏を狙うコヨーテかささやかな畑の恵みを左右する気まぐれな気候位であった。

 ほんの数年前はそれに牛泥棒が加わっていたのだが、ある日不幸にもその現場と彼女の父親が鉢合わせてしまう。
 当然、一家総出で銃を手にこれを追い払おうと撃鉄を起こすのであったが、その夜は運の悪い事に牛泥棒達も反撃をしてきた。
 彼らは大概は"法の外"に置かれた者、アウトローでもある。
 その大多数は北のカンザス・シティや東の大都市で法を犯し、市民権を剥奪された者だ。
 市民権を剥奪され、法の外に置かれた者は大挙して 荒野へと逃れてくるのが一般的である。
 そのまま都市に居続けても殺され身ぐるみをはがれるのがオチだからだ。
 彼らに対して何をしようと罪には問われない。
 故に"法の外に置かれた者"(アウトロー)。
 これは逆に、彼らが生きて行くには更に犯罪に手を染める必要がある事を意味した。

 腕っ節に自信がある者はアウトローガンマンとして方々を荒らし、あるいは義勇に生きるのであるが、大半は夜中にコッソリと盗みを働く小悪党に成り下がる。
 牛泥棒などがその最たる者であり、大抵は命の危険を冒して反撃などしてはこないのだがこの者達は違ったらしい。
 闇の中、普段はのどかな牧場に激しい銃撃の音が響く。
 当時16であったアニーも物陰に隠れ、幼い頃から父親に仕込まれて� �た仕草で銃を構え、チカチカと光る相手の銃口の光目がけて必死に引き金を引き続けた。
 相手は4人。
 此方も父親と母親、そして二つ年下の弟の4人。
 一つ、二つと銃声が減っていく。
 この時、アニーは相手が一人、二人と逃げ出してしまっているのだと考えていた。
 銃の名手で感謝祭の時期にはいつもバッファローを仕留めてくる父親が、同じように牛泥棒を仕留めているのだと思っていた。
 銃声は自分のものを除き、あと二つ。
 その夜、初めて人に向けて銃を撃つ少女は気付く事ができない。
 なぜ銃声が二つしかないのかを。
 やがて、銃声は無くなった。
 気が付くと自分が闇雲に撃っている銃声のみとなっていたのだ。
 我に返った16歳になったばかりのアニーは、静寂に気� ��付き父と母、弟の名を順に呼ぶ。
 しかし、返ってくる声はない。
 程なく、彼女は町の名に相応しい想いを胸に抱く事となる。

 最初に見つけた弟は、頭に銃弾を受けて納屋の影で冷たくなっていた。
 そんな弟に駆け寄ろうとしたのか、母も家の正面を横切ろうとした格好で事切れていた。
 最後に見つけた父は、流れ弾に当たり死んだ牛の物陰で仰向けに倒れていた。
 何度も顔を埋めて甘えたその胸には、大きな血染みが滲んでいる。
 まだ少女とも言えるアニーは不思議と呆然とし、そのまま自失して夜を明かした。
 少女は日が昇り、家族を牧場の片隅に葬った後初めて泣いたのである。
 西部においてごく普遍的なその記憶は少女が19になった今も薄れることなく、日々は過ぎ去っていく� ��
 家族を弔った後、確認した牛泥棒の死体は3人分。
 1人、足りなかった。
 そして、あの夜以来牛泥棒が彼女の牧場に現れることは無い。

「どうしたの? クララベル」

 いつものように随分数の少なくなった牛を柵に追い込んだ夕暮れ、彼女の愛馬がいつもとは違ういななきをした。
 何かに怯えるような、または警戒するようなその様子にアニーは反射的に銃を抜く。
 この周辺の地形は全て把握している。
 人や馬が隠れられる遮蔽物は無い。
 コヨーテ?
 ……いや、日はまだ明るいし、牛を襲うとは考えられない。
 もしや、野盗の類が潜んでいるのだろうか?
 考えがそこに及んだ瞬間、アニーは素早く馬から下りて首を左右に振った。
 把握している人が隠れられそうな 場所の様子を確認するためだ。
 少し背の高い草の揺れ方。
 鳥の鳴き声と動き。
 その、どれもに異常はない。
 しかし、あの夜以来極端に臆病になってしまったかつての父親の愛馬は、ある一点を見詰め警戒するかのようにもう一度いななく。
 愛馬の向いた先は昔、母親が畑を作ろうとした辺りであり、少し背の高い草が生い茂っていた一角であった。
 アニーはその場所を銃を構えたまま、眉間に皺を寄せてじっと観察する。
 同時に、その白く艶めかしいうなじから背中にかけて一斉に総毛立ち、冷たい汗が全身から吹き出始めた。
 不自然に藪の草が倒れているのを見つけたからだ。
 あまり観察はしていなかったが、朝はあんな草の倒れ方はしていなかったはずである。
 つまり、あそ� �にだれかが居る。
 コヨーテではない。
 アレはそんなマヌケな生き物ではない。
 そして、この荒野であんな風に牧場の近くで隠れる必要のある者なんて、そう多くはなかった。
 せいぜい、牛泥棒か野盗くらいなものである。
 ただ、彼女にとって幸運か不運か、そこに隠れている者はマヌケの類のようであった。
 アニーは姿勢を低くしてから銃を構え、草が倒れた藪めがけていきなり発砲した。
 女一人、荒野に住んでいるのである。
 彼女の行動は決して過剰な物ではない。

 果たして、変化は起きなかった。
 どうしたものか少し迷った後、アニーは銃を構えたままゆっくりと藪に近寄りはじめる。
 気のせいであるならばそれでいい。
 倒れた草は自分が気がついていないだけ� ��元々そうであったかもしれないし、クララベルが反応したのは野ネズミか何かだったのかもしれない。
 もしくは、藪に潜む者に銃弾が命中していて、命を奪ってしまっているのかもしれない。
 それが牛泥棒なのか、最近熱心に口説いてくるビルなのかはわからない。
 もし、下心でも持ってビルが潜んでいたとしても、それは自業自得だ。
 荒野ではいたずらに疑わしい行動を行って銃弾を撃ち込まれても、それは本人が悪いのである。
 そもそも、ビルにしたってそこまでマヌケではないはずだ。
 やはり牛泥棒か?
 アニーは冷や汗を流したまま、めまぐるしく思考を行い慎重にたどり着いた藪をかき分けた。
 神経を集中し、何時銃口やダイヤモンドバックスガラガラヘビが鎌首をもたげても反応� ��きるよう全身の感覚を研ぎ澄ます。
 やがて、かき分けた草の向こうにチラリと衣服のような物が見えた。
 ――やっぱり。
 だれか、いる。

 緊張は更に高まり、心臓は激しく鳴った。
 もう一度、今度は銃の引金に指をかけながらゆっくりと草をかき分ける。
 やがて視界に飛び込んでくる、地に伏した人の姿。
 真っ先に目に入ったのは、ボロボロの外套の内側から盛り上がった、なにか。
 恐らくは杖かなにかが引っかかっているのだろう。
 うつぶせに倒れているその人間は、どうやら男のようであり、背は低かった。
 格好からインディアンではなさそうだ。
 この辺りでは珍しいチャイニーズだろうか?
 どちらにしろ、外套のフードがずれて見えている漆黒の髪は初めて見る ものであった。
 アニーはそこで一端思考を中止し、銃を構えたままつま先を倒れている男の肩の下に差し入れてグイを上に上げる。
 男はあっけなくごろんと転がって、今度は仰向けになった。
 顔や服装がハッキリと見えて、アニーは怪訝な表情を浮かべる。

 男はやはりチャイニーズであるようだ。
 少なくとも、白人や黒人ではない。
 もしかしたら白人化したインディアンかもしれないが、恐らくは東洋人であろう。
 年の頃は……わからない。
 30やそこらではきかないとは判断できるが、西洋人であるアニーにとって初めて見る東洋人の年齢の判別は困難であった。
 顔はやせこけ、皺と何かの切り傷がこめかみからあごにかけて一筋見える。
 薄く無精ひげを生やしており、口ひげと� ��ごひげが繋がりつつあったが、この辺りの男達ほど濃くはなかった。
 奇妙な藍色のだぶだぶの着物を着用しており、腰のあたりにある黒い奇妙な形の、二本の棒のような物が特に目を引いた。
 恐らくは、仰向けであったときに外套を押し上げていたのはこの棒であろう。
 一本は長く、もう一本は長い方のミニチュアのような作りだ。

「ぐ、む……」

 男は、不意に呻いた。
 知らず観察に全神経を傾けていたアニーは、警戒を怠っていた事実を思い出し同時にビクリと肩を跳ね上げ引き金を引いてしまう。
 銃はズドン、と音を立てて仰向けになった男の脇腹辺りに向かい硝煙が一瞬ほとばしる。

「あが!!」

 今度は先程よりも更にハッキリとした声で男は悲鳴をあげた。
 どうやら男� ��とりあえずは生きているらしい。
 ハッキリとはしないが牛泥棒や野盗の類でもないようだ。
 心当たりなどありはしないが、郵便配達人でもなさそうである。
 ――やっぱりインディアン? いや、チェロキー族はこんな格好はしない。
 もしかして他の部族の使いかなにかで、南のチェロキー族の所に向かっている途中だとか?
 アニーははっとした。

 男がチャイニーズである場合、そもそもこんな所に居る事は不自然だ。
 噂に聞く彼らは遙か西のカルフォルニアで金を掘るか、鉄道工事現場で働くのが自然である。
 ここらには金も出ないし、鉄道も遙か北でしかもすでに完成している。
 そうだ。
 この男は、自分が知らないインディアンの部族に違いない。
 恐らくは、南に移住� �せられたチェロキー族の居留地に向かう途中行き倒れたのだろう。
 もしかしたら、チェロキー族が南に移住したのを知らなかったのかもしれない。
 だとしたら、すごく、まずい。
 話に聞くインディアン達は、恐ろしく好戦的で誇り高い。
 きっと、使者が白人に殺されたと知れば報復にやってくるはずだ。
 ただでさえ、この辺りの白人とチェロキー族は土地を巡って争い続け、数十年前にやっと協定を結んでなんとか解決できた経歴がある。
 いまさら、これ以上の"ミスフォーチュン"を抱え込んでたまるものか。

「ちょっと! しっかりして! あんた、こんな所で死ぬんじゃないわよ!」
『――ぅ、ぁ、脇腹……』
「ほら! 手当してあげるから、立って!」

 アニーは銃をホルスタ ーに押し込み、仰向けに倒れている男の左腕を取った。
 そのまま肩に回して、思いっきり引っ張り上げる。
 男は背が低い割に重く、しかし意識と体力は多少残っていたのか、彼女の介助にわずかながらも地に足を突っ張って身体を支えようとした。

「あんた、言葉わかる? "WAKIBARA"ってさっき呟いたけど、連中の言葉しかしゃべれないのは勘弁してよ?」
「……れ、……だ」
「何?」
「止ま、れ。ヘビが、そこに」

 瀕死の男は、流暢な英語を口にした。
 アニーは引きずるように男の左腕を肩に回したまま、すぐそばで力なく項垂れる男の顔を見る。
 その目はうっすらと開き、かさかさに乾いてひび割れた唇とすえた臭いが印象的であった。
 それから男の視線を追うと自分� ��すぐ足下にとぐろを巻いたヘビの姿が確認できた。
 いつの間にそこにいたのか。
 それとも、最初から居て男に気を取られた自分が見逃していたのか。
 ガラガラヘビは威嚇音を鳴らし、今にもアニーの足に襲いかからんとしていたのだった。
 まずい。
 銃を……いや、まにあわな……
 キン。
 様々な思考と焦りが往来したその一瞬に割り込む金属音。
 アニーが"それ"を認識する間もなく、足下のガラガラヘビは巻いたとぐろごと二つに割れて絶命した。
 同時に腕を担いだ男の身体から力が抜ける。

「え? 何? あんた、何したの?」

 混乱するアニーの問いかけに、男は何も答えない。
 ただ何時手にしたのか、その右手には短刀のようなものが握られており、するりと力� ��抜けた男の手の内から下へ落ちて大地に刺さった。
 アニーは完全に脱力した男の身体を支えきれず、もつれ込むように地面へ倒されてしまう。
 夕暮れ、随分と日が沈んだとはいえ、灼けた大地はいまだ熱く硬かった。
 男に押し倒される形で転んでしまったアニーは、完全に意識を失った、男の腕の下から這い出て二つに割れたガラガラヘビを蹴飛ばし悪態をつく。
 それからもう一度男を抱え上げようとして、目に強い光が飛び込んだ。
 光は先程男が握っていた少し長めの短刀が夕日を反射したものであった。
 アニーはその時初めて、男が持っていたあの短い方の棒が刃物であったと理解する。
 短刀は不思議と見る者を引きつけて、今更ながらにアニーはしばしその美しい刀身に魅入ってしまった。

 それは19になったばかりの彼女が初めて『脇差し』を見た時の情景であり、生涯彼女の追憶として残る光でもあった。

Bullet◎02

「それでね、後で聞いた話なんだけど"WAKIBARA"ってのはあの人の国の言葉で脇腹の事だったのよ」

 カンザスの田舎町、ミスフォーチュン唯一のバーである『ワイルド・ブル』のカウンター席に座るアニーは、そう言いながら手にしたグラスを煽った。
 場所はアメリカ合衆国のカンザス州。
 大陸横断鉄道が完成し、ゴールドラッシュに沸く1872年の事だ。
 彼女の話を隣に座り熱心にメモを取りながら聞き入る若い30才程の男の記者は、ついそんな彼女の白いのど元に目を奪われてしまった。
 記者は酒を流し込み、艶めかしく動く彼女の喉から意識を離そうと アニーがそうしたように自身も手にしたグラスを一気に煽り、むせてしまう。
 その様子を観察していたのか、無愛想なバーテンの親父が二人の空になったグラスへ新しくバーボンを次いだ。
 ちゃっかり、先程二人が飲んでいた物よりもほんの少しだけ上等な物を。
 恐らくは、記者がアニーの隣に座り、話を聞かせて貰う代わりにすでに手にしていた酒を含めて今夜は奢るという台詞を聞いていたのだろう。

「えっと、その彼は"チクゼン"の国の出だっけ? それは一体、どこにあるのか聞いた?」
「詳しくは聞いてないわ。ただ、中国の隣って言ってた」
「中国、ねぇ。北に隣なのか、南に隣なのか、はたまた東に隣なのかピンと来ないね。フランスの隣とかなら調べようもあるんだけれど」
「少なくと もメキシコでは無いみたいね」

 アニーはそう言ってから、干したトウモロコシを一つ口の中に放り込み、ポリポリと音を鳴らす。
 記者は忙しなくペンを走らせ続け、彼女の話を素早く書き留めていた。
 間を置かず、動かしていた手を止めて今度は再び少し上等なものになったバーボンを煽る彼女に質問を投げかける。

「それで? ガラガラベビを鮮やかに斬った彼をその後どうしたの?」
「まずナイフを拾いあげて、彼の腰にあった鞘に納めたわ。で、彼の腰に戻してから彼の足にロープを括ってね」
「ロープ?」
「彼、重かったのよ。すごく」
「と、言うことは太っていた?」
「あなた、ちゃんと私の話聞いてた? 彼、すごくたくましいのよ? 重いのはたぶん、持ち物だったと思うわ」
� ��ははは、ごめん。それで?」
「クララベルに引っ張ってもらったの。家までね。今して思うと、すごく可哀想なやり方だったとは思うけれど」
「まるで、馬引きにされる牛泥棒だね」
「否定はしないわ。流石にクララベルを走らせたりはしなかったけれど」


コンゴの熱帯雨林はどこにあるの

 そう答えて、アニーはクスリと笑う。
 その悪戯っぽい微笑みは、記者の心をかき乱した。
 そう。
 彼女はこんな、見捨てられた田舎町には似つかわしくないほど美しかったのだ。
 髪を伸ばし、カウボーイスタイルの服装ではなくドレスに身を包んで歩けばきっと、大都会であるニューヨークでさえも道行く者は皆振り返るであろう。
 記者の男は唐突に、取材として追っている男に強烈な嫉妬を覚えた。
 それから乱れた心に酒を注ぎ込み、したたかなバーテンの親父に舌打ちを一つ鳴らす。
 先程よりもわずかに旨いその酒は、果たして謎の東洋人への嫉妬をわずかにだが和らげた。

「まったく。この仕事をしている� ��、たまに嫌になることがあるんだ」
「なに? 突然。愚痴なら余所でお願いしたいものね」
「それだよ、それ。僕はどうしても理解できないんだ。君のような綺麗な子が、どうして彼のような東洋人の、しかも中年に入れ込むんだい?」
「そりゃ、決まってるわよ。彼がとっても素敵だからよ」
「くそ! 西で取材した時も同じ事を綺麗な女の子に言われたさ!」
「あら。それはご愁傷様」
「君は悔しくはないのかい? その男は"そんな調子"であちこちで騒動に巻き込まれては、女の子とよろしくやっているかもしれないのだよ?」

 少しほろ酔いとなりかけた記者の嫉妬混じりの問いに、アニーは僅かに眉根を寄せ、考え込んだ。
 が、それも僅かな時間であり、彼女はすぐに顔を上げて答えを導き� �す。

「気にしない、ってのは嘘ね。嫉妬しちゃうわ」
「僕もそうだよ、アニー」
「だけど、仕方ないじゃない。南部の女は、ううん。女ならだれだって、強くて優しい男に惚れやすいものよ」

 アニーはそう口にしてもう一度手にしたグラスを一気に飲み干し、ふぅ、とため息をついた。
 記者の男はその様子を見て、少々罪な事をしたと後悔し彼女と同じように酒が入ったグラスを開ける。
 二人の間に少しだけ気まずい沈黙が横たわり、その間を利用してバーテンの親父が再び、空になった二つのグラスに酒を注いだ。
 ちゃっかり先程よりも更に少しだけ上等なバーボンを、だ。
 記者の男は目の前で注がれる酒を見詰めながら、私情を押さえ込み再び仕事に戻ることにする。

「それで、彼を馬 で家まで引きずった後君たちはどうなったんだい?」

 問いかけにアニーは記者の方には見向きもせず、すでにバーボンが注がれたグラスを見詰めて想いをはせた。
 思い出は未だ鮮烈で、なぜもっと大事に過ごさなかったのか、後悔を伴って再び彼女の記憶によぎる。
 その、奇跡のような夜に到る日々が。

 結論から言えば、男はインディアンなどではなかった。
 恐らくは男がガラガラヘビを両断してから後。
 家まで馬に引きずられて移動した男は、かつてアニーが使っていた狭いベッドに横たえられて、手当を受けた。
 アニーはまず、その上半身をはだけさせて男の怪我の具合を確かめる。
 外套を脱がし、奇妙な服の襟元を開くと彼女は思わず息を飲んだ。
 男の体に刻み込まれ� �、無数の切り傷といくつかの銃創が目に飛び込んできたからである。
 切り傷はそのどれもが古く、銃創は逆に比較的新しいものようだ。
 男が身につけている服はどうやらローブのようであるらしく、腰に巻いた布のような者を外すとアッサリと脱がせることができた。
 自分にはこの服をもう一度男に着せることはできないだろうなどとアニーは考えながらも、先程自分が与えた傷の具合を確認する。
 動揺してしまい発砲した弾丸は、彼の脇腹の肉を僅かにえぐっただけであった。
 アニーはひとまず胸をなで下ろし、インディアンの使者を殺害してしまう事態は回避されたのだと安堵する。

 彼女は所有していた酒で傷口消毒した後、綺麗に洗った布を脇腹にあて手早く治療を済ましてから、一つの問題に� ��がついた。
 ――この男をどうすべきか。
 正直、インディアンとは関わり合いになりたくはない。
 鉄道は遠く北にあり、土地も痩せているこの辺りですらも最近は治安が悪くなりつつある。
 人口が増加している東部海岸の都市から、"法の外に置かれた者"(アウト・ロー)達が西へ押し寄せているためだ。
 賢しい者はこんな田舎町など見向きもしないが、いつかの牛泥棒達のように特に何も考えず、見境なしに罪を犯す愚か者も居るには居るのだ。
 最近だって、この町にならず者がやって来て強盗を行おうとし、保安官(シェリフ)のゴードンが二人、撃ち殺している。
 ……やはり、このまま家に置いておくわけにはいかない。

 彼女はもう少し様子を見て、男の意識が戻らない場合は荒野� �でも捨ててこようと決意した。
 それで死んでしまっても、少なくとも、自分がインディアンの使者を殺したことにはなりはしまい。
 なにせ、元々荒野に倒れていたのだから。
 それにこの男はアウトローであるのかもしれない。
 うら若い女の一人住まいに、得体の知れない男を……例えけが人で、意識が無い状態であっても一晩泊めるのはとても危険な行為だ。
 もし後々南のチェロキー族から、男のことで咎められても自分はやるだけのことはやったと言えばいい。
 少なくとも、こうやってベッドに寝かせ、傷の手当てをしたではないか。
 ――怪我を負わせたのも自分だけれど、元々行き倒れていたのは男の方であるわけだし。
 そうだ。
 そうしよう。
 拙いアニーの理論武装は決意を� ��強して、日課である愛馬のクララベルの体を拭いてやるために家の外へと足を運ばせる。
 もはや男のことなどどうでも良いのか、はだけさせた衣服などそのままにして彼女は家の玄関へと向かった。
 少々不用心であるかもしれないが、男は意識もなく、銃も持っては居ない。
 放っておいても大丈夫だろうという判断を彼女は下していた。
 外へ出ると日はすっかりと暮れていて、乾いた大地は急激に冷えつつあり夜風に冷気がまじっている。
 アニーは手早く仮初めに繋いでいたクララベルの手綱を引いて、馬小屋へと連れて行き藁でその大きな体躯を拭きはじめた。
 クララベルは主の世話に気持ちよさそうにしてはいたものの、依然として何かに警戒して落ち着かない様子であった。

「大丈夫よ、あ� ��つ、銃ももっていないもの。刃物の扱いは上手いかもしれないけれど、私だって拳銃は得意だわ」

 落ち着かない愛馬をなだめるように、アニーは優しく鼻面をさすってやった。
 クララベルはうれしそうにいななき、しかし、やはり忙しなく尾を揺らしてしきりに見えぬ外敵に警戒をし続ける。

「もう。信用ないのね、私。銃の腕前なら、ミスフォーチュンじゃちょっとしたものなのよ? シェリフのゴードン位ね、敵わないのは」

 なんとなく愛馬が自分の腕前を信用してくれていないような気がして、アニーは不貞腐れてしまう。
 むくれたまま体を吹き上げ、飼葉桶に飼い葉を入れてやりすっかり綺麗になたクララベルに与えてやると、アニーは馬小屋を後にした。
 少し警戒しながら家に戻ると、男� �未だ意識を取り戻してはいなかった。
 アニーはガン・ベルトを外しもせず、そのまま食事の支度に取りかかる。
 牛追い(キャトル・ドライブ)である彼女の生活は、小さいながらも牧場を持っているとはいえ貧しいものであった。
 その日の食事も質素なものであり、ジャガイモの塩ゆでしたものとスープ、そして味の薄いビスケットが食卓に並ぶ。
 少し塩気の効いたそれらは、炎天下で仕事をする彼女にとって不味くも美味に感じられる食事であろう。
 食事を終えると彼女はもう一度男の様子を見て少し悩んだ後、その日は早めに寝ることにした。
 普段ならばミスフォーチュンの酒場『ワイルド・ブル』に繰り出して一杯引っかけるのが日課であったが、流石に男を家に残して出かける気にはなれなかっ たからだ。

 町ではうら若い女の身で男に混じって酒場に入り浸るなど、という声もあった。
 が、アニーは今は亡き父親の牧場を一人で切り盛りし、時には町の男達と共に馬を駆る関係上こういった場に出る必要もある。
 小さいとはいえ、牧場をやっていくには時に他の者の協力も必要だからだ。
 彼女はその日最後の仕事として、いつものように枕元に銃を置いてベッドに潜り込み、明かりを消す。
 知らず男のことでずっと気を張っていたからか、意識を手放すのに時間はかからなかった。
 荒野の月は雲に隠れて、その隙間から漏れ出す僅かな月光は彼女の家を照らし出す。
 やがて静寂が世界に満ちて、安息の夜が等しくミスフォーチュンの町を包む深夜となった。
 アニーもこの時、年相応の� ��い寝息を立てて一時の夢をむさぼっていた。

 不意に。
 彼女は気配を感じて、意識が戻りきらぬまま枕元の銃をに手を伸ばす。
 それは本能的な反応の域であり、彼女のガンマンとしての資質の高さを物語っていた。
 ただしかし、その時は不運にも相手が巧妙であったと言えよう。
 それだけ慣れていたのか、直前まで侵入者達は気配を感じさせなかったのだ。
 銃把を握り、気配の方へ向けようとしたところで手首を捕む者がいた。
 同時に何かがベッドに横たわる自分に覆い被さってくる。

「へへ、静かにしろ。大人しくしてりゃ、命だけは助けてやるし、夜明け前にはすべて"終わる"」

 その白く細い首筋に荒い息使いが吹きかけられ、すぐ後に舌を這わせられた。
 ナメクジが這う ようなその感覚はおぞましく、アニーの意識を一気に覚醒させる。
 足をばたつかせ、捕まれた手首とは反対の手で必死に抵抗を試みるも、覆い被さった男をどけるには至らなかった。

「ええい、大人しくしろって言っただろうが! この!」

 バチッと少し乾いた音と共に、頬に衝撃が走る。
 大の男の力で殴られたアニーは、その衝撃で決して離すまいとしていた銃を落としてしまった。
 同時に捕まれていた手首が突如自由になり、着ていた服の胸元が一気に左右へ引き裂かれる。
 布を裂く音が室内に響き、やけに彼女の耳に残った。
 覆い被さってきている男の手が自身の露わになった胸へと伸びてきたとき、彼女はやっと声を上げた。
 恐怖の為ではない。
 残された最後の抵抗がソレであ ったからだ。

「や! だ、誰か!」
「騒ぐなっつっただろうが! それに、どうせ誰も来やしねえよ。あきらめな嬢ちゃん」
「すぐに町に出ている夫が帰ってくるわ!」
「へへへ、嘘はいけねえな。教会の神父様に怒られるぜ?」
「くぅ、はな、せ!」
「俺達はな、三日も前から嬢ちゃんやこの家を見張っていたのさ。嬢ちゃんが独り身っつう事は調べがついてるんだぜ?」

 侵入者は獣臭を漂わせながらそう言って、アニーの胸に当てた手を乱暴に動かした。
 部屋の向こうでは、複数の足跡が聞こえてくることから、男はあの意識のない者とは違うらしい。
 家の中のあちこちからいろんな物が漁られ、乱暴に投げ捨てられる音がしてくる。
 あの男はやはりこいつらの一味で、手引きされたの� ��ろうか?
 絶望的な状況と悔しさの中で、アニーは甘い判断を下してしまった自分を呪った。
 ハッキリしているのは、彼らは強盗であり、自分はこれから慰み者となる事であろう。
 それを証明するかのように、ナメクジのような感覚が、徐々に首筋から舌へと降りていく。

「兄貴、ずるいぜ? 俺達にも"分け前"をくれよ。この家はロクなもんがねえや。せめて、その可愛い嬢ちゃんとヤらなきゃ割にあわねえ」
「外に馬があったろうが。牛は足が付きやすいから置いてけ。この上玉は俺が"最初"だ。あとでその時間はたっぷりくれてやる」
「ちぇ、俺だってたまには"最初"に楽しみてぇよ」
「文句いうなアホ。次は譲ってやるよ」
「兄ぃ、こっちで死にかけてる奴どうしやす?」
「ほっとけ 。気になるなら二、三発ぶち込んどけ」

 強盗の男達の会話から、あの意識のないインディアンは無関係らしい。
 夕方、クララベルがしきりに気にしていたのは、あの男ではなくこの者達であったとアニーはこの時初めて気がついた。
 その事実は激しい後悔を伴って恥辱に混じり、まさぐられる身体をばたつかせる。
 覆い被さる男の力は強く、そんな彼女の抵抗も意に介さずに邪魔な布を更に少しずつ力任せに引き裂いていった。
 少なくとも強盗の数は三人。
 外にも幾人か居るのかもしれない。
 アニーは体中をまさぐられ、舐めあげられながらも抵抗しつづ、け敵の数を数える。
 それは反撃の機会を得たときに必要な情報であると同時に、自身を陵辱する者の数であると気がついてじわり絶望� ��染みてくるのであった。

「い、いやあああ!」
「うわ、わああああああああああああああああ!!」

 遂にあげてしまった彼女の女としての悲鳴に、男の悲鳴が重なる。
 胸に這っていた舌の感触が消え、覆い被さっていた男は悲鳴が上がった方向へ首を回す。
 一瞬、チャンスであると考えたものの、男は用心深いのか、いつの間にか銃を取り出して自分の露わになった胸元に向けられていたのだった。
 アニーは仕方なく、せめて異変の正体を確かめておこうと自分にまたがる男と同じ方向を見た。
 同時にもう一人男が部屋に転がり込んで来て、獣のようなうめき声を上げ続け膝を折った。
 もう一人の男は手首を掴み、痛みに耐えるかのようにぶるぶると震える。
 一方の手で握っている手首� ��ら先は"無い"。
 まるで、ジャガイモを鋭利なナイフで二つに切ったかのような切り口である。

「あっ――が――、あに、き……!!!」
「なんだ?! おめぇ、どんなヘマすりゃそんな事になんだぁ?」
「な、なんだてめぇ! なにし」

 手首の無い男が転がり込んできた方向から、もう一人の男の声がした。
 しかし声は、急に途絶えてしまっていた。
 恐らくは、手首の無い男の悲鳴を聞いて"そこ"へ移動したのだろう。
 "そこ"は、かつて自分が使っていた、狭いベッドがある部屋だ。
 声は途絶えると同時に、ドン、と何か重い物が床に落ちる音がして一瞬だけ静寂が満ちる。
 正確には手首を失った男がうめき声を発していたのだが、この奇妙な事態にアニーも、恐らくは強盗� �首領らしい男も耳にしては居なかった。

 やがて、音が復活する。
 何かが転がる音だ。
 ごろごろと音を立て、いつの間に顔をだしたのか、開け放たれている玄関の外からの月明かりに照らされてソレはアニーの寝室へ転がってきた。
 ソレは、人間の頭部であった。
 先程までアニーの家を漁っていた、強盗の一味である男の頭部であった。
 その首の切断面も又、床にうずくまり呻く男の手首と同じように鮮やかである。
 流石にアニーも男もソレを見て息を飲み、次いで後から現れた黒い小さな影にビクリと肩を跳ね上げて驚いてしまった。

「な、なんだてめぇ!」
「あな、たは……」

 黒い影は答えない。
 その手には少し細めの、約2フィート(約60cm)のあの短刀が握られている。
 短刀は、月光を僅かに反射して清廉と煌めいていた。
 その様はまるで、命を刈り取る鎌を携えた死に神のように見えて、アニーの上に乗る男は恐怖に駆られ銃口を黒い影に向け引金を引く。
 ドン、と音を立て銃声が狭い室内響いた。
 同時に、アニーと男は信じられない光景を目の当たりにする。
 黒い影は、何時移動したのか。
 未だ硝煙が上がる男の銃口の、すぐ側へと移動をしていたのだ。
 つまり、どうやったのか、弾丸を回避して男とアニーのすぐ側にその影は立っていた。
 影は月光に照らされて尚闇を維持し、強盗の男もアニーも本能的な恐怖を覚えて全身総毛立つ。
 強盗の男は、なかば錯乱しアニーの上に跨がったまま影へと再び銃口を向ける。
 影は微動たりともせず、一� �の最中男はこれで銃弾を撃ち込めたと安堵した。

 ――だが、引き金が引けない。
 否。
 銃が見えない。
 否。
 腕の感覚が、無い。
 否。
 視界が回転して、何をしているのかわからない。
 否。
 意識が、遠のいて、床が視界に迫ってくる。
 それが強盗の男の最後の思考であった。
 彼は絶命した仲間と同じように、胴と頭を切断され死を感じる間もなく絶命していた。
 アニーは頭の無い男の身体に跨がられたまま、その黒い影を見つめる。
 影は死の気配をまとってその場に立ち続け、手にした短刀の淡い輝きだけが艶めかしく印象に残った。
 闇と短刀の輝きは、混乱するアニーの恐怖をかき立て、彼女に取り落とした銃を拾う事すら忘れさせる。
 やがて彼女は恐� ��のためか、そのままもう一度意識を手放してしまうのであった。

 彼女が体験する奇跡のような夜は未だ、訪れてはいない。

Bullet◎03

 アニーが再び意識を取り戻したのは、日もそこそこに高くなってからだった。

 胸がはだけられたままの身体には新しい毛布が掛けられ、部屋に男達の姿は無かった。
 床にはいまだ大きな血溜まりが残っていて、壁にも点々と血しぶきが飛んだ後がある。
 アニーは引き裂かれ破れた胸元を毛布で隠しながらベッドから起きて、替えの服を用意しとりあえずは着替えた。
 それから一通り家の中の様子を見て回る。
 屋内はどうやら"あの時"のままであり、荒らされたままの室内では小物の数々が床に散らばっていたのだった。
 ただ、男達の誰かが持って帰� ��うとしていたのか、金目の物や食料が整然とテーブルの上に置かれており彼女を安堵させた。
 恐らくはあの、黒い影……昨日拾った男の仕業であろう。
 手にしたナイフで二人の男の首を刎ね、一人の男の手首を切り落とした、あの時。
 アニーはその恐怖を思い出して、身震いを一つした。
 それからやっと、根本的な疑問を思い起こす。
 あの男は一体どこに?
 それに、昨夜の強盗達の死体は?
 疑問に、アニーはふと愛馬の事を思い出した。
 もし、盗まれでもしていたら大変だ。
 馬は牛追いにとって身体の一部と言っていいほど重要な存在である。
 それを失うということは、この荒野で一人野垂れ死ぬ事を意味していた。

 アニーは頭から血が引く思いで家を飛び出し、馬小屋� �と走る。
 果たして其処には彼女の愛馬の姿は無かった。
 昨夜感じたばかりの絶望がじわりと彼女の身体に沸いて、その場で膝を追ってしまう。
 もう、おしまいだ。
 新しく馬を買う金などない。
 牛を売って買おうにも、今度は牧場から牛が居なくなってしまう。
 残された道はカンザスシティやドッジシティに繰り出してこの身を売るか、それともアウト・ローになるか。
 頭を銃で撃ち抜くと言う手もあるし、それらをやってみてからどこかの牧場で牧童として雇ってもらえるか試してもいいかもしれない。
 アニーは膝を大地について頭を抱え込んだ。
 どこかの大牧場で雇ってもらえる者など、西に行って金を掘り当てる位難しい事だ。
 なにせ、女の身で牛追いを行う事は南部では異� ��もいいところだからだ。
 彼女がカンザスの田舎町で他の牛追い達に溶け込めているのは、事情を知る父の友人達のおかげであった。
 町の男達や女達は彼女が一人で牧場を守ろうとしている姿を知っているからこそ、牛追い仲間として受け入れてきたのだ。
 牧場を町のだれかに売り払い、牧童として雇ってもらえるよう交渉する道もあるかもしれない。
 しかし、どう考えてもこの貧しい町に住む者で、牧童を雇える者など皆無であった。
 呆然と空の馬小屋を見詰める彼女の大きな瞳に、涙がじわり浮く。

「お、起きたか」

 背後から急に声をかけられ、アニーは反射的に銃を抜きつつ体を捻った。
 視界が流れ、銃と声の主が眼前に現れる。
 声の主はあの奇妙なローブのような服を着用して� ��手綱を握っていた。
 背は低く、黒い髪を後ろで束ね、薄く生やした無精ひげと左のこめかみから頬にかけての大きな切り傷が印象的だ。
 男は切り傷のある方の左目は不自然に閉じられており、銃を向けられているにもかかわらずボリボリと暢気に顎を掻いている。
 こいつ、バカ? 銃口を向けられてこんな……
 アニーはそう思いながらも、男の隣に居る馬の姿を見るや思考は停止し、立ち上がりながら思わず叫んでいた。

「クララベル!」
「すまん、借りていたぞ。部屋を血だらけにしちまったんでな、せめて掃除をしなくてはと、川まで水を汲みに行っておったんだ」

 男の台詞に、アニーは初めてクララベルに水桶がつり下げられて居る事に気がついた。
 人見知りの激しい愛馬は、特に男に 警戒した様子もなくぶるる、と唇をふるわせ主との再会を喜ぶ。

「あんた……」
「いや、すまん。ここで勝手に馬を持ち出す事がどういう事か、よく分かっておったが勘弁してくれ」
「分かってない! なんでクララベルを勝手に連れ出すのよ!」
「いや、その……わしゃ水場の場所を知らんで。だから、この馬に案内してもろうたんだ」
「そんなの、理由にならない! いいわ、保安官に突きだしてやるから、覚悟なさい!」
「いや、いやいや、保安官は勘弁してくれ。ほれ、代わりにといってはなんだが、馬も洗っておいたしの」

 男は慌てて、両手のひらをひらひらとアニーへ突きだした。
 アニーは不安と絶望の反動から来る怒りに燃えて、男に銃を向けたまま敵意を込めて睨み続ける。
 そん な彼女をなだめるように、男の隣に居るクララベルが再びぶるる、と唇を振るわせ大きな頭を男へとなすりつけた。

「うぉおっと、悪ぃな、ちょっと今取り込み中なんだ。水は……うむ、わしがこの嬢ちゃんに撃ち殺されなきゃ後ほど用意して進ぜよう」
「……随分となつかれたものね」
「むふ、そうじゃろ?」

 男はそう答えて、嬉しそうな表情を浮かべ可可と笑った。
 その表情は人なつこく、アニーは毒気を抜かれ渋面を浮かべたまま銃を下ろしてしまう。
 しかし依然敵意は男に叩き付け続けていたが、男は気にした風でもなく悠然とアニーの前を通ってクララベルから水桶を下ろすのであった。
 水桶の他にも血まみれになっていたであろう、昨夜アニーが使っていた毛布がクララベルの背に積まれ� ��男はそれも下ろしながらアニーへ笑いかける。

「そう、怒りなさんな。美人が台無しだぞ? ほれ、血まみれになっちまってた毛布もこの通りすっかり綺麗になったでな」
「……一応、昨夜の事は礼を言うべきね」
「いや、気にする事はないぞ。わしも行き倒れて居る所を助けてはもろうた身ではあるし。まぁ、いきなり銃弾が飛んできたのにはたまげたが」


ミーアキャットは移行されません

 男はそう言って、もう一度可可と笑う。
 アニーは毛布を何処に引っかけて干そうかと、キョロキョロとする男から毛布をひったくりながらじろりと男を睨んだ。
 男は飄々とした態度で肩をすくめてから、荷物を下ろしたクララベルを馬小屋へと導いてやると飼葉桶と水桶をそれぞれ用意してやる。
 日も随分と高くなっており、アニーはとりあえず毛布を干すべく馬小屋から死角になっている干し場へと移動した。
 それから毛布を手早く干して馬小屋に戻ると、男の姿はすでに無かった。
 今度はクララベルは馬小屋に居るのでアニーが焦るような事はなかったが、何処に行ったのか気にしつつも家に入るとそこで再び男を発見する。 男は藁を使い、床にできた血染みをゴシゴシと拭いて古い飼葉桶のバケツに藁を浸し、丹念に血を取り除いていた。
 どうやら一連の行動に悪気は無いのは本当らしく、アニーはそこで初めて男への敵意をため息と共に消し去るのであった。
 それから、もう一つ古い飼葉桶とボロ布を用意して、男と少し離れた壁についた血を拭き始める。
 そんなアニーの姿を確認してか、男は申し訳なさそうに口を開いた。

「いや、ほんに、すまんな。昨夜はまだ具合が悪くての、手加減ができなんだ」
「……もう具合はいいの?」
「正直な所、体に力が入らん。もう三日、何も食って無いからのぅ。先程お嬢さんの愛馬と共に、川の水を鱈腹飲みはしたが」
「……アニーよ。アニー・マクマホン。あなたは?」
「� ��木陣十郎。と、違うか。ジンジュウロウ・ウスキじゃな、ここでは」
「……どっちがあなたの名前よ?」
「わしの国では、姓が先に来るでな。名はジンジュウロウじゃ。久しく他人と名を交換しなかったで、すっかり忘れる所だったわい」
「……そう。随分と変わった名ね。それに、英語も結構上手いじゃない。あなた、どこの部族?」
「部族?」
「南のチェロキー族の所に行くんじゃないの?」
「ちぇろきぃ? ああ、お主、わしをインディアンか何かと思うとったのか」
「え! 違うの?!」
「違うさぁ。わしゃ、チクゼンの出じゃて」
「CHIKUZEN? 聞いたことの無い地名ね。メキシコ?」
「いんにゃ。中国はしっとるか?」
「チャイニーズの国? たしか、カリフォルニアよりず� ��と西の国よね」
「そうそう。その、中国の隣の島国じゃ。そこのチクゼンという所の生まれじゃよ」
「なんだ、あんたチャイニーズの親戚か何かだったの」

 陣十郎がインディアンでないと知ったアニーは、肩の荷が又一つ下りたような気がして壁にへばりついた血染みを拭きながらも胸をなで下ろす。
 陣十郎への警戒心は未だ解けないが、今更背後から襲われる気がしないほどには気を許していたアニーであった。
 室内に、石畳の床を藁で擦る音がシャカシャカとリズミカルに響いて、そこから先の会話は途絶えてしまう。
 やがて陣十郎はその場の血染みを綺麗にできたのか、今度は昨夜まで横たえられていた奥の部屋に向かい、そこでもシャカシャカと床を拭き始めた。
 そういえば、奥の部屋で一� ��目の首を……
 アニーはそう考えて、はっとする。

「そうだ! 肝心な事、忘れてたわ!」
「んー? なんじゃー?」
「あんた、あの強盗どもの死体はどうしたの?!」
「あー、それなら、裏に置いとる。息のある奴は止血してふんじばっとるから、安心してよいぞ」
「安心って……」
「なに、干からびんようにちゃんと日陰に置いとるし。午後になれば日なたになろうがの。死体は一応、保安官に報告するのに必要じゃろ?」
「ええ、まあ……」
「あの後、外におった奴には逃げられたで。生きとる奴から仲間の数を聞いといた方がいいと思うしな」

 奥の部屋から少し声を張り上げて、陣十郎は言った。
 シャカシャカと床を藁で擦る音は途切れずアニーの耳に届く。
 一方、アニーの� ��はというと、粗方壁の血染みは拭き終えたので今度は荒らされた屋内を元に戻すことにした。
 幸い壊れされた物はなく、物色され散らばった屋内を元に戻すのに、それほど時間はかかりはしなかった。
 もっとも、彼女が貧しく元々物がそれほどなかったというのもあるが。
 アニーが最後にテーブルの上に置かれた金目の物を確認し、大切にしまい込んでいると奥から飼葉桶と藁を持った陣十郎が姿を現す。
 どうやら床を綺麗にし終わったらしい。

「終わったの?」
「ああ、終わった。こちらも、粗方片付いたようじゃな」
「ええ。私はこれから保安官を呼んでくるから、留守を頼めるかしら?」
「うげ! わ、わしが留守番をするのか?! 見知らぬ男に家の留守を任せるなど……」
「何か盗る つもりなら、昨夜やってるでしょ? それに、金目の物とクララベルは私が持っていくしね。不都合ないわ」

 アニーの大胆とも言える言葉に陣十郎は目に見えてうろたえた。
 それから、少しうつむきぽつりと呟くように、独り言を発する。
 勿論、独り言ではなく彼女へ暗に提案を撤回して欲しいとの訴えであるが。

「わしは不都合ある。保安官シェリフはどうも苦手じゃて」
「あなた、もしかしてアウト・ロー法の外に置かれた者?」
「んにゃ。外国人じゃから微妙だが、わしゃこの国じゃ一度も裁判は受け取らん。無論、賞金首になった覚えもないぞ」
「じゃ、いいじゃない。アウト・ローでも殺しちゃったら一応届け� �ないと。それに、もしかしたら昨夜の強盗は賞金首かもしれないわよ?」
「ふん、金などいらん。助けてくれた礼に、嬢ちゃんにやるよ」
「まあ、嬢ちゃんだなんて! 私、大人なんだけど?」
「そうかい? そりゃ、すまなんだ。とにかく、保安官には会いたくないのぅ。連中、わしを見るたびに不審者扱いしよる」
「……そりゃ、そんな格好でウロウロしてればね。腰に差してる棒……二本ともナイフ? 随分長いけど……それ、目立つし」
「刀というもんじゃよ」
「KATANA?」

 陣十郎はぽん、と腰に差した大小に手を置きながら笑った。
 その少し皺のよった屈託のない笑顔にアニーはどこか、気が安らぐような親しみを感じてつい、するつもりのない質問が口をつく。
 彼女のオウム返� ��に陣十郎は興味があると勘違いしたのか、笑顔のまま腰に差した刃物がどんな物かを語り始めた。
 アニーはそんな事よりも、死体の臭いが強くなる前に保安官を呼びに行きたかったが、陣十郎に留守を任せたい考えもあって少しだけ付き合うことにしたのだった。

「そう、カタナ。短い方は脇差しゆうて、長い方が打刀とゆうんじゃ」
「へぇ、名前が付いているんだ?」
「ちがうちがう。名前は別についとる。今ゆうたのは、種類としての名前じゃ。ほれ、"馬"とか"牛"とかのな」
「ねぇ。じゃあ、名前はなんてつけているの?」

 興味が出てきたのか、それとも興味があるフリをしたのか、アニーは立て続けに質問を投げた。
 しかし、その質問は。
 陣十郎にとって何か思う所があったのか、急 に表情に影を落として腰に差す脇差しをなで始める。
 アニーはその様子から、聞いてはいけないような事を聞いてしまったのかもしれないと思い、答えなくていいと付け足そうとした。
 だが、それよりも先に陣十郎は彼女の質問に答えたのであった。

「こっちの短い方は百合。長い方は……祟り刀じゃて、名は、無い」
「TATARIGATANA? そっちはUTIKATANAじゃないの?」
「あいや、打刀なんだが素性が良くなくての。その、呪いがかけられとるんだ。だから名は取り上げられたんじゃよ」
「ふぅん?」
「わしゃ貧乏じゃて。こういうもんじゃないと高価な刀は手に入らなかったんでの。左目を失ったのも、そのせいじゃろうな」

 陣十郎はそう言うと、笑いながらずっと閉じ� �ままの左目をぱんぱんと手で軽く叩いて見せた。
 その仕草は陽気な物であったが、アニーにも読み取れるほど陣十郎の表情に暗い物が見え隠れする。
 アニーは彼が話した内容に今ひとつピンと来ないまま、それ以上質問を重ねることもせずそう、とだけ答え話題を変えた。

「そういえば、あなた左目をいつも閉じているわね。顔の傷を負った時に怪我したの?」
「うむ。ま、そんな所だ」
「それに、その、YURI、だっけ? そのナイフ、本当に良く切れるのね。――人の首をあんなに簡単に両断できるなんて」
「むふ、そうであろう? なにせ、この脇差しはわしの自慢の一品じゃしの。まあ、わしの腕前もあるんじゃが」
「嘘おっしゃい。どうせ、そのナイフのおかげでしょ」
「はは、手厳しいな 。ま、否定はせんよ」
「ねえ、YURIって、どんな意味の名前なの?」

 アニーは先程の質問をごまかすように、いくつか質問を重ねる。
 それは功を奏したのか、陣十郎から暗い影は消え、少し誇らしげに腰に差した脇差しの事を語らせていたのだったが。
 最後の質問は、彼女にとってミスとなった。
 どうやら目の前の男にとって、腰に差している短刀が自慢であると踏んだ彼女はうっかり、その名の事を深く訊いてしまったからだ。
 内心、しまった! と舌打ちをするアニーであったが、しかし今度は陣十郎の表情に暗い物は差さなかった。
 だが、それは。
 いずれ彼女を苦しめる棘となることになるとはこの時、アニーには予想だにできぬ事であった。
 質問に、陣十郎は間をあけて答� �る。
 その表情に望郷と、慕情をのせて。

「白い、美しい花の名じゃよ。わしのかつての許嫁と同じ、の」

Bullet◎04

 その日、結局留守を引き受ける羽目となった陣十郎は。

 アニーが連れてきた保安官シェリフのゴードンに根掘り葉掘り質問を受ける事となったが、彼女の取りなしもあってか特に問題は発生しなかった。
 ただ、やはり着物を身につけた陣十郎の出で立ちはかなり怪しく映るらしく、保安官のゴードンはしつこい程に陣十郎の旅の目的を詮索する。
 そう、この場違いな侍は。
 保安官になぜ此処に来たのか、との質問に、一言旅をしているからとだけ答えたのだ。
 目的も明かさないままに。
 ゴードンはどちらかと言えばその目的� �方を知りたかったようであったが、町の仲間の命を救った陣十郎の手前、何よりアニーのとりなしによって深くは追求せず、面倒だけは起こすなと念を押すにとどめたのであった。
 日はその時随分と天高く登り、ジリジリと荒野を焦がして始める。
 多少の疑問は残しつつも、アニーを襲った一夜の騒動はそれですべて解決し、陣十郎は胸をなで下ろしアニーは牛の世話に思いをはせ始めた頃。
 あ! と強盗の死体と手首を失った男を馬車に乗せ、手配書の束を片手に検分を行っていた保安官助手のオリヴァーが声を上げた。

「どうした? オリヴァー」
「シェリフ! こいつら、『サンド・スネーク』の一味です」
「何?!」

 陣十郎を横目に、アニーと世間話をして検分が終わるのを待っていたゴード ンは、顔色をかえながら助手の元へ駆け寄る。
 アニーも助手の言葉に、さっと血の気を引かせていた。
 ただ一人、何がまずいのかよく理解できない陣十郎はボリボリと顎の無精ひげを掻いて、そりゃ、一体なんだい? と飄々とした体で尋ねた。

「あんた、知らないの?!」
「わしゃ、流れ者なんでな」
「強盗団よ。たちの悪い、ね」
「にしても……」

 少し焦ったかのようなアニーを尻目に、陣十郎は今度はジョリジョリと無精ひげさすりながら、馬車の方へ走っていった保安官を見やった。
 保安官のゴードンは助手と何やら、深刻な面持ちで話している。

「随分と怖がっているようだね?」
「当たり前よ。『サンド・スネーク』と言えば、この辺りじゃ一番厄介な強盗団ですもの」
「 ほう? 頭数が多いのかい?」
「それもあるけど、とにかく凶暴なの。インディアンよりもね」
「む。ちと、ようわからんな。幾度かそのインデアとやらに世話になった事があったが、連中、気むずかしいがいい奴らだったぞ?」
「たまたまよ。南のチェロキー族は好戦的だって噂だし」
「そんなもんかの」
「そうよ。とにかく、『サンド・スネーク』はすごく凶暴でしかも狡猾なのよ。この辺りを荒らし回っててね、警察でも手に負えない有様」
「その、恐ろしい強盗団がなんで嬢ちゃんの家に忍び込んできたんだ? あれで全部と言うわけではあるまいに」

 アニーは陣十郎に嬢ちゃんと言われ、少しむくれて視線に敵意を込めた。
 年齢は知らないが、確かに陣十郎とは親娘ほども年が離れていよう。< br/> しかし、嬢ちゃんは無い。
 それは仮にも16のあの夜から3年間一人で生きてきた彼女の矜持を甚だ傷つける言葉であったのだ。

「やめてよ。アニーって名前があるんだから。チンシュロ」
「陣十郎だ」
「チンシュロー?」
「……嬢ちゃん、わざとか?」
「残念。発音が難しいのよ、あんたの名前」
「ジン」
「ジン」
「ジュウ」
「シュウ」
「ジュ・ウ!」
「ジュ、ウ」
「ロウ」
「ロー」
「陣十郎だ」
「チンシュローね」
「わざとだな」
「そうよ。ちゃんと名前で呼んでくれないからね」

 してやった、と意地悪な表情をうかべてアニーは笑う。
 代わりに今度は陣十郎がすこしむくれて、ジョリジョリと顎の無精ひげを少し強くなでるのであった。
 そん� �二人のやり取りを尻目に、保安官は助手としていた話が終わったのか、こちらを向いて緊張した面持ちで声を張り上げてきた。

「アニー! 俺は町の皆に知らせてくる。オリヴァーをドッヂフォートまで走らせるから、軍が来るまでなるべく外に出ないようにしてくれ!」
「ちょっと! そんなの、"牛追いキャトル・ドライブ"の私には無理よ!」
「命令だ! 命あっての物種だろ? じゃ、俺は行くぞ! 町の皆と自警団を作って見回りをせにゃならん」
「ゴードン!」
「いいか? 昼もそうだが、夜は特に気をつけろ! 鍵をかけて、決して外にでるんじゃない。銃を手に持って夜を明かせ! 今から寝ておけ!」
「じゃ私も町を見回るわ」
「女の出る幕じゃねえ� �� いいから言われた通りにしてろ! あー、それと。騒動収まったら保安官事務所に来てくれ。こいつらの分の賞金を渡すよ」

 ゴードンは有無を言わさぬ雰囲気で強くそう言い放つと、そそくさと馬に乗り込み、馬車を操る助手と共にその場を去っていった。
 アニーは先程よりも更に悔しそうな表情を浮かべ、しかし言われたとおりにするつもりなのかその後籠城の準備を始める。
 牛たちに水と餌を多めに与えて、クララベルを藁で拭いてやると早々に戸締まりをして家の中に引きこもってしまうのだった。
 その頃には日は大分傾いて、遅めの質素な昼食としてパンを囓りながらアニーはテーブルの上に銃を置き、終始無言で手入れを始める。
 なぜかそこに居続ける陣十郎は、同じく分けて貰ったパンを片� �に彼女の様子を黙って見ているのであった。
 そんな彼をアニーはじろりと睨んで、だがどこか遠慮がちに手元に視線を落としたまま、声をかける。

「……あんたは関係ないんだし、さっさとこのミスフォーチュン災難の町から出て行った方がいいんじゃない? 賞金首のお金いらないんでしょ?」
「まあ、そうなんだが……命を助けて貰った恩人が困っておるのだ。見て見ぬ振りをするのは、"武士の名折れ"というものじゃしな」
「"BUSHINONAORE"?」
「この、刀を持つに値しない臆病者という意味じゃよ」

 陣十郎はそう言って、むふんと笑って見せた。
 皺のよった、傷のあるその笑みは不思議と柔らかでアニーを落ち着かせる。
 しかし、 アニーはそれ以上陣十郎と会話を交わす気になれず、同時に彼を家から追い出す気にもならなかった。
 なんだかんだと言っても、男である陣十郎が側にいることが心強かったからだ。
 銃を分解し、油を差し、弾丸を一つ一つ入念にチェックするアニーの手元を陣十郎も又、沈黙を保って見詰め続ける。
 しばらくして、退屈したのかおもむろに陣十郎は懐からいくつかの道具を取り出し、アニーと同じように刀の手入れを始めた。
 テーブルの上に長めの脇差し"百合"を置いて、目釘を外し、器用に刀を分解する陣十郎にアニーは思わずその手を止める。
 真綿でゆっくりと裸になった刀身を拭き上げ、ついで別の綿で何やら粉を薄く、薄くまぶしてもう一度、別の真綿で拭き上げていく。
 最後に油が染みこ� ��せているであろう布でもう一度拭き上げ、陣十郎が再び刀を組み立てた所でアニーはやっと、口を開く気になった。

「……それ、随分とややこしい仕組みなのね。それに、手入れの仕方も変わってる」
「むふ、そうであろう? 刀はな、こうやって分解して丹念に手入れをしてやる必要があるんじゃ」
「へぇ。……ねぇ、そっちのカタナは手入れしなくていいの?」

 アニーはそう質問しながら立ち上がり、手入れの終えた自身の銃をホルスターに押し込んで、今度は奥からウィンチェスターライフルを持ってきた。
 レバーアクションで弾を装填するそれは、アニーにとって父親の形見の品であり、同時に苦い思い出が思い起こされる品でもある。
 彼女は再び椅子に座りながらも、少しだけ鈍く光るライフル� ��見詰め、徐に銃をあらぬ方向へ構えてみせた。
 照準の向こうには、あの16の夜の出来事がよぎる。
 アニーはそのまま目を閉じて一瞬の幻を消し去り、構えを解いて何かを振り切るようにライフルに弾丸を装填する。
 彼女の持つ初期型のウィンチェスターライフルはイエロー・ボーイという名で真鍮部が鈍く光っていた。
 手入れはまめにしていたが、久しく使う機会が無かったためライフルの予備の弾は少ない。

「ねぇってば」

 まるで、自身の記憶を追い払うかのように、彼女は陣十郎に先程の問いかけの返答を促した。
 陣十郎はテーブルの上に置いた脇差しの隣に"銘無し"の打刀を置いて、ただじっと開いた右目でその姿を見詰めている。
 それから徐に。
 まるで独り言のように、先� �のアニーのように、その打刀の向こうに何かを見るように。
 男は口を開いた

「これには手入れの必要は無い。鞘から抜けぬ"祟り刀"だから、の」
「そういえば、呪われてるって言ってたわね、それ」
「うむ。正確にはこちらの言葉の"呪い"と祟りという物は少し違うのだがの」
「ふうん? どう違うの?」
「英語には説明に足る単語が無い故、上手くは説明できんのじゃが……まあ、呪いは悪い魔術師や悪魔が人に魔法をかけるようなもんじゃろ?」
「ん、おとぎ話でよく聞くあれね」
「そんな所だ。じゃが、祟りは違う。なんというかの、神の怒りと言うべきか……」
「え?! まさかキリスト様の聖遺物って言い出すんじゃないでしょうね?!」
「まさか。神の怒りというのは比喩でな。� �う、空から雨が降るように、日が昇るように当たり前に災難が降って沸く代物という意味かのぅ」
「……よくわかんないわ」
「ううむ、困った。わしゃ、口下手でいかん」
「そもそも、なんであんたが銃も持たずにそんな物を持ち歩いて旅をしているわけ?」

 質問に陣十郎の困ったように顎の無精ひげを撫でていた手が止まった。
 アニーのそれは意外であったらしく、しばし話すべきかどうか、悩みはじめる。
 元来好奇心の強い方であったアニーは、身の上話を無理強いするつもりはなかったが、何となくこの奇妙な東洋人に興味が沸きはじめている事を実感する。
 彼女に限った話しではなく、当時、何もない荒野で暮らす人々にとって旅人の話は又とない娯楽の一つであった。
 もっとも、野盗や アウト・ローが跋扈する荒れ地では警戒心もそれなりに、強く排他的になるのも無理からぬ話ではあるが。
 つまり彼女は、当初は陣十郎の様子を見て多少なりとも気を遣って聞けなかった事を、気を許すにつれつい、尋ねてみたくなったのである。
 果たして、陣十郎は重い口を開いた。

「そうだの、そもそもはこの、"祟り刀"が全ての始まりかの」
「それが? どうしてまた」
「こいつには……あるお伽噺があってな。そこから話すと長くなるぞ。それに面白くはない」
「はじめから聞かせてくれる? このまま夜を明かさなければならないのに、日はまだ暮れたばかりだもの、退屈して朝には死んでしまいそうだわ」
「はぁ、嬢ちゃんは物好きじゃのぅ」
「また! ……もう許さないわよ? 絶対、� ��して貰いますからね」
「とほほ、やぶ蛇になっちまったか」

 陣十郎はそう言いつつ、止まっていた顎の手を再び動かし始めてジョリジョリと無精ひげを鳴らした。
 そんな彼を横目に、アニーは暗くなってきた室内に明かりを灯すべく、ランプに火を入れテーブルの上に置く。
 ランプを挟んで陣十郎の向かいに三度腰掛けたアニーは悪戯っぽく笑い、さあ、話せとばかりに顎をしゃくって見せた。
 陣十郎ははぁ、とため息を一つついて、テーブルの上に置いたままの"百合"と"銘無し"を見詰める。
 それから、ぽつりぽつりとある、昔話を始めるのであった。
 そのお伽噺は今、陣十郎がそこに居る理由にまで連なってゆく。
 長い夜はこうして始まった。


どのように核融合が太陽の下でエネルギーを作り出すん。

 陣十郎の持つ"銘無し"は元々『鬼目一"蜈蚣"』(オニノマヒトツ"ムカデ")と言う銘を持っていた。
 来歴を遡れば、ありふれた伝説にたどり着く。
 曰く。
 ある刀鍛冶の元に一人の若い男が弟子入りを希望してやって来た。
 刀鍛冶は跡継ぎがおらず、喜んで彼を迎え入れた。
 若者はよく師匠につくし、その技もみるみる内に吸収してゆく。
 やがて彼が独り立ちしようかという頃。
 刀鍛冶には一人の美しい娘が居た。
 若者はこの娘を嫁に欲しいと師匠に懇願する。
 娘も若者には満更でも無い様子であったが、彼女を目に入れても痛くないほど可愛がっていたこの刀鍛冶は、ある条件を� ��すのだった。
 それは。
 一夜で刀百振り打てたならば、嫁にやろうという物である。
 若者はそれを受け、早速刀を打ち始めた。
 ――師に決して鍛冶場を覗かぬよう、懇願して。
 果たして、刀鍛冶はその懇願を受け入れ約束し、鍛冶場からは夜を徹しての刀を打つ音が響いてきた。
 その勢いはすさまじく、次々と打ち上がった刀を持って外に出てくる若者を見て、一体どのように刀を打っているのか知りたくなった。
 そして、約束は破られる。
 刀鍛冶がそっと鍛冶場の入り口から中を覗くと、そこには若者の姿は無く、一匹の鬼が刀を打っていたのだった。
 これに焦った刀鍛冶は、このままでは化生に娘を娶られてしまうと思い、ついその場で鶏の鳴き真似をしてしまう。
 すると、ぱ たりと刀を打つ音が止み、そして夜が明けた。
 一向に鍛冶場から出てこない鬼の様子を見ようと刀鍛冶が中に入ると、そこには鬼が打ちかけの刀を持って息絶えていた。
 その刀は後は銘を刻むばかりであり、丁度百本目であったという。

「ま、そこまではわしの国じゃありふれた話なんだがな」
「ONIって、デーモンか何か?」
「古き神々の眷属ともいうがの。ま、上手く言えないからそれでよい」
「そ。で、そのオニがそのカタナに呪いでもかけてるの?」
「ま、そんなところだ。その後、その鬼を不憫に思った刀鍛冶が、鬼を神の使いのように祀って供養したのだ」
「どうして? オニは悪い奴なんでしょう?」
「今の話で、鬼は悪さをしたか? ただ、鍛冶屋の弟子になり、よう働いて、娘� �恋しただけであろ?」
「む……それはそうね。オニが悪い奴じゃなければ、悪いのは刀鍛冶になるわね」
「うむ。でな、この鬼はどうも最期の最期で約束を破った師を恨んだらしいんじゃ」

 陣十郎はそう言って一度言葉を切り、再び"祟り刀"の物語を口にする。
 それは、哀れな鬼と娘の物語でもあった。
 想いを遂げられずに死した鬼を哀れんだ刀鍛冶は、この鬼の魂を鎮めるため祠を庭に建てた。
 それが長い年月をかけて神社となってゆくのだが、果たして鬼の想いは死んではいなかった。
 元来、鬼も八百万の神々の眷属である。
 故に、刀鍛冶は鬼の魂を鎮めるために祀ったのだ。
 古来より、八百万の神々には二つの側面がある。
 空に暴風を投げ入れ、海に嵐を呼び込み、大地を� �り煉獄の炎を流し込む『荒魂』。
 あるいは、燦々と日をかがやかせ、船を順風で送り出し、大地に豊かな恵みを実らせる『和魂』。
 想いを遺した鬼はどちらになったのだろうか。
 鬼は師を恨み、娘に焦がれ、『荒魂』となっていたのだった。
 やがてソレは祟りとなり、娘の子々孫々と遺した百本の刀に降りかかる。
 祟りは刀の数にちなんでか、百足の化生の姿となり、度々娘の子孫達に災いをなした。
 娘の子孫は全て女子しか産み落とせぬようになり。
 これに添い遂げる男子あらば、契った男の元に百足の化生が現れ、たちまちの内にこれを食い殺し。
 幾度もその時々の剛の者がこれを討伐するも、百足は決して滅さず、祟りは続いてゆくのであった。
 やがて時を重ねた娘の子孫は。
 ある、忌まわしい風習を行い始める。

「つまりだな。娘の子孫のおなごと添い遂げた男子は、遺された百本の刀の一振りを手に海の彼方へと追放されるようになったんじゃ」
「……意味がわからないわ。どうしてそうなるの?」
「百足は昔から水に弱いとされておるで。娘の子孫達は皆美しく、高貴な家に嫁いだのもあるしの」
「ますます、意味がわからないわ」
「つまりじゃ。娘の子孫は祟りによって必ず娘じゃろ?」
「ええ」
「その娘とどこぞのワケの分からん馬の骨と契らせてな、刀を一本持たせて海に追放し、野垂れ死にさせるのだ」
「そんな……」
「そうすると、その娘の代は少なくとも男はそれ以上祟られん。で、娘に子供が生まれるとまた……」
「バカじゃないの!」

 アニー は思わず声を荒げていた。
 そこから先は、聞かなくても分かったからだ。
 罵りは、話に出てくる娘の子孫に向けての物ではない。
 陣十郎に向けてのものであった。

「あんた、なんでそんな事になるって分かってて、そのカタナを受け取ったのよ! その娘とそんなにヤりたかったの?!」
「ヤりたいもヤりたくもないも、わしゃ、元々"馬の骨"となる事を義務づけられた一族の出じゃて」
「なによ、それ!」
「わしは祟りを引き受ける役。娘……百合は祟りをわしに渡すため、年が離れた狒々親父に純潔を散らす、哀れな娘。それだけの話だの」
「何がそれだけの話よ!」
「……まあ、形式の上では許嫁であったがの。年は離れていたが、お互い好いてもいた。が、の。結局、わしは馬の骨でし� �なかったんじゃ」
「意味がわからないわ」
「だろうな。この話をするたびにそう言われちまう。武士として生まれたならば、家の宿命は何より重い。ちと、理解に苦しむだろうが」
「……あなたの言うとおり、まったく理解できないわ。そんな迷信、よくも信じられるわね」
「迷信、か……」

 陣十郎はそう言って力なく笑い、閉じた左目に手を当てた。
 アニーは対照的に、目に怒りを宿しギリと歯をかむ。

「まあ、怒らんでくれ。迷信ならそれで良いではないか。所詮お伽話じゃ。理由は何であれ、わしが海を渡った理由はここからなんじゃし」
「……それで?」
「ふむ。とりあえずはまあ、百合と契っての。しきたりに乗っ取って、この刀を渡され海に放逐された」
「ふん、意気地なし」
� ��そう言うな。での? わしがもろうた"祟り刀"は丁度、百本目でな。鬼の想いが強いんだろうな。死ぬ前にアメリカに向かう船に拾われたんじゃ」
「……で?」
「最初は刀と共に海へ身投げしようかと考えた。でもな? 船に乗り込んでいた、ある船員に面白い話を聞いたんじゃ」
「どんな?」
「なんでも、インディアンとやらの聖地にはあらゆる呪いを解く者がおるらしい、とな。まあ、半信半疑ではあるが、天候をも操るとまで聞いては捨て置けぬようになってな」
「それで此処まで来たってわけ?」
「うむ。どうせ、一度は捨てた命じゃ。カリフォルニアと言う所で下船させて貰い、延々とここまで歩いてきたと言うわけだな」
「じゃあ、あなたは元々南に行くつもりだったんだ」
「ああ、ここから� ��に南に行くとオクラホマとゆう、インディアンの居留地があるんじゃろ? そこで情報を集めようかとおもうての」

 陣十郎はそう言って、可可と笑う。
 対照的に、アニーは不機嫌な表情を浮かべて彼をにらみつけていた。
 彼女には陣十郎の話が納得のいく物ではなかったからだ。
 なぜ、娘と最初に契った者が迷信の犠牲にならなくてはならないのか。
 なぜ、追放される為だけの一族が存在するのか。
 なぜ、陣十郎は己の命を「それだけの話」として割り切るのか。
 アニーには全てが不快であった。
 同時に、陣十郎が"貧乏で、こういうもんじゃないと高価な刀は手に入らなかった"と嘘をついてまで話したくなかったものが、こんなつまらないものであったのかと落胆すらしていた。
  そんな、彼女の強く激しい視線に晒された陣十郎は、どこか寂しげでしかし飄々とした風情のまま、ジョリジョリと無精ひげを撫で続ける。
 その姿がやけに癪にさわり、アニーは何か、罵倒のための言葉を口にしようとした。
 瞬間、視界から陣十郎の姿が消える。
 それからすぐに自分の視界も回り、気がついたら陣十郎によって家の床に押し倒されていた。
 混乱の最中、何を! と怒りにまかせて叫ぼうとしたときである。

 彼女の家に、無数の銃弾が飛び込んできたのだった。

Bullet◎05

 強盗団『サンド・スネーク』は約40人程の無法者で構成されている大集団である。

 神出鬼没でカンザス州を荒らし回り、軍隊にまで手配書が回り始めた頃。
 リーダーである"指撃ち"バートが、白人� ��立ち入りを原則禁止としている南のオクラホマ州へ逃げることを決意してより二日。
 ミスフォーチュンという田舎町に差し掛かったときに、ばったりと町の保安官と遭遇してしまい、銃撃戦となった。
 最初はお互いに何事も無く、ただすれ違う筈であったのだ。
 ミスフォーチュンは町、といってもその大部分は荒野と牧場であり建物もまばらである。
 今まで荒らし回った都市の多い北部とは違い、住民は彼らのことなど詳しいはずもなく、強盗団は特に問題無く通過できるはずであった。
 ただ、運の悪いことに南へと進む荒野の道無き道すがら、よりにもよって保安官と強盗団は出会ってしまったのだ。

 この時バートは以前この辺りで"仕事"をしたことのあると言っていた手下の言葉を信用してしま った自分を呪い、保安官も己の不運を呪った。
 なにが、「このルートならば人気もなく、途中に小さな牧場があるだけで誰の目にも触れずに南へ行ける」だ畜生。
 バートは内心舌打ちをして、保安官のバッジが光る男が乗る馬車には手を出さぬよう、手下に無言で指示を出す。
 数はこちらの方が遙かに多い。
 向こうはたった一人だ。
 無謀な戦いを仕掛けてくるとは思えない。
 恐らくは、この場は見逃すだろうという判断が彼の脳裏に働いた。
 なにより、保安官を手にかけると、ハクがつくが各地での仕事が一層やりにくくなる。
 バートの判断は果たして、保安官のゴードンの考えと一致した。
 ゴードンも又、目の前の集団が薄々は強盗団『サンド・スネーク』であると気がついていたの� ��。
 当然である。
 広い荒野、外から人が滅多に来ない田舎町、昨夜現れた強盗が『サンド・スネーク』の一員であった事。
 幸い町の住人に被害が発生しなかったが、返り討ちにした者の数は明らかに少ない。
 普通に考えれば独断で行動してしまった斥候と、誰しもが思いつくであろう。

 そして、強盗の死体と生き残った者の身柄を受け取ったその帰り道。
 鉢合わせてしまった、ガラの悪そうな集団。
 その幾人かは、強盗の素性を調べるために持参した手配書の顔と一致していた。
 ゴードンは全身に冷や汗を吹き出させて、正義感と生存本能の狭間で思考を重ねる。
 ――こちらは一人。
 助手のオリヴァーはドッジフォートに向うため、別ルートを走っているから銃撃の音を聞いて助� ��に来ることはないだろう。
 相手は……畜生、数えるのもばかばかしい。
 だが、逆にこの数の差は有利に働くかもしれない。
 強盗団がミスフォーチュンを襲うつもりならば、昼間からこうやって移動するはずはない。
 恐らくは、南のインディアン居留地に逃げ込む途中なのだろう。
 だとしたら、無用な争いは嫌うはずだ。
 それに、凶暴な連中だがリーダーのバートはそれ以上に狡猾な判断をすると聞く。
 ここで俺を殺してもなんの得にもならないし、逆に保安官を殺したとあらば、司法の追っ手も更に激しくなるだろう。
 当然、奴らはそれを嫌うはずだ。
 ……アニーの事は気がかりだが、ここは無視しておけば恐らくは、こちらには手を出してこないはず。
 そう判断をして、ゴード ンもまた前方からやって来る集団を見て見ぬ振りをする事にした。
 彼はこの時、後で自警団を編成し、アニーの無事だけを確認する為彼女の牧場へ急行するつもりだったのだ。
 そして、奇遇にも考えが一致した両者は何事も無くすれ違う。

「――! アニキ! た、助けてくれ!!」

 息も絶え絶えに声を張り上げ、保安官の馬車から"指撃ち"バートに声をかける者がいた。
 陣十郎に手首を切り落とされ、しかし命だけは助かった強盗の男である。
 奇妙な沈黙と緊張が、荒野を満たす。
 一拍おいて、最初に発砲したのは保安官であった。
 お互い"分かっていて"素通りするはずであった。

 しかし。
 バートにしてみれば、保安官に捕まった部下を見捨てることはできない。
 そ んなことをすれば、他の部下達の信頼を失うからだ。
 彼自身としては、保安官に捕まるようなマヌケは必要とせず、できることならば無視をしたかったであろう。
 しかし目の前で助けてくれ、とはっきり言われてしまえば、見て見ぬ振りをするわけにはいかない。
 保安官も又、目の前で捕まえた強盗がアニキ、助けてくれと叫ばれては無視するわけにも行かない。
 そもそも、そもそもだ。
 助けを求められた方も、無視などできょうはずもないとゴードンは考えた。
 どうする?
 馬車を走らせる?_
 ダメだ。追いつかれてしまう。
 では、捕まえた強盗を馬車から蹴り降ろして逃げる?
 ダメだ。降ろしてやる間に蜂の巣になるだろう。
 特にリーダーの"指撃ち"バートが、そんな隙 を見逃すはずがない。
 なにせ、決闘した相手が銃把を握る前にその指を打ち抜いた逸話があるほどの腕前で、"指撃ち"の二つ名が付けられるほどだ。
 では、どうするか。
 ――"こうする"しかないではないか。
 かくして、保安官のゴードンは撃鉄を起こし、引き金を引いた。
 それから間もなく、彼は荒野にその無数に穴が空いた体を横たえることとなったのだった。

 かくして、保安官のゴードンが不運にも強盗団『サンド・スネーク』と鉢合わせ、命を落としてより数時間後の事。
 右手首を陣十郎に切り落とされた男は、かつて牛泥棒を働こうとした牧場へと仲間達を案内していた。
 そう、彼こそがアニーが16の時、彼女の家族の命を奪い逃げ去った最後の一人だったのである。
 男は当時牛泥棒を行うためにミスフォーチュンの町をいくらか下調べを行った事がある経験を買われ、『サンド・スネーク』の斥候隊の一員として先行していたのだった。

 果たして数年ぶりに再びミスフォーチュンを訪れたその男は。
 昔の仲間を失ったあの牧場の事を思い出し、意趣返しとばかりに現在の仲間に"つまみ食い"を提案する。
 アニーの牧場は町の外れであり、『サンド・スネーク』本隊が通るルートとも近い。
 他の男達は本隊の通過を気取られるかもしれない、と大義名分をでっち上げ、男の狙い通り"つまみ食い"に興じることにしたのだった。
 その結末は町の名に相応しいものとなり、男は己の右手首を失うこととなる。
 彼にとって幸いだったのが、外で見張りをしていたもう一� ��の生存者であるトビーが逃げたまま本隊には戻らず、自分達の失態をリーダーが知らなかった事であった。
 もしリーダーのバートに"つまみ食い"がばれれば、『サンド・スネーク』を裏切った行為として粛正されてしまう。
 いくら無法者の集まりとはいえ、勝手な行動を取れば彼らの法により裁かれるのだ。

 『サンド・スネーク』では特にその辺りは厳しく、それ故神出鬼没に各地を荒らし回れるだけの組織力を保てていたのだった。
 見張りのトビーが逃げて本隊に戻らなかったのも、そういった事情があってのことだろう。
 彼は保安官の死体を横目に、他に誰かに顔を見られなかったかとバートに聞かれ、内心ほくそ笑んだ。
 バートが自分達の失態を把握してはいないと理解したからだ。
 と� ��かく助かりたい一心で保安官の馬車から声をかけた時は、どういいわけをしようか悩んでいた彼だったが、この時は己の幸運を素直に喜ぶのであった。
 そして、男は唯一の目撃者が居る場所としてアニーの牧場へと仲間達を導く。
 それが、それこそが最大の不運であるとは分からずに。
 牧場へ着く頃にはすっかり日も暮れて、月が荒野を照らし始めた頃。
 男達は手にした銃の撃鉄を起こして小さな家を取り囲み、一斉にその引き金を引いたのだった。

「きゃあ!」

 アニーは陣十郎に押し倒されながらも、雷雨のような銃弾の嵐に思わず口から悲鳴を漏らした。
 しばらくして銃声が落ち着き、顔を上げると壁という壁に丸い親指の先程の穴が空いて、そこから月明かりが入り込んでくるのが見える� �
 テーブルは陣十郎がアニーを押し倒した時に倒され、床には彼女の銃と陣十郎の刀が散らばっていた。
 ランプは銃弾によって破壊されたのか、無残な破片と一緒に油を床にぶちまけている。
 その油に火が付いていないのは不幸中の幸いであろう。

「嬢ちゃん、大丈夫か?」

 体の上から、陣十郎が声をかけてくる。
 アニーは軽く陣十郎の脇腹に膝蹴りを入れ、それから床を這って落ちているライフルを手に取った。
 陣十郎は蹴られた脇腹が丁度アニーに撃たれた場所であったらしく、少し悶絶しそれから息も絶え絶えにと言った様子でアニーと同じように這い始めた。
 程なく、転がってしまっていた愛刀を二本拾いあげ不満げな表情を浮かべて、今度はアニーの側へ這って移動する。

「お お、痛ぇ。ひでぇな、嬢ちゃん」
「嬢ちゃんはヤメテ」
「今はそんなこと言っとる場合かの?」
「嬢ちゃんはヤメテ、ジュウロウ。私もほら、今あなたの名をきちんと呼んだわ?」
「わかったわかった。しかし、うぉお?!」

 陣十郎があきれ顔で何かを言おうとした時である。
 アニーがその言葉を最後まで聞かないまま、不意に手にしたライフルを構え、穴だらけとなった入り口の扉に向けて発砲したのだった。
 結果、その返答とばかりに再び嵐のような銃撃が始まり、部屋中を弾丸が行き交うようになる。

「ば、ばかたれ! むやみに銃を撃って、どうなるというんじゃ!」
「撃たなきゃ、家に連中が入り込んでくるわ!」
「連中って、一体なんのことなんだ?!」
「あんた、私をかば� �てくれたのに"連中"が誰なのかわかってないの?!」
「わかるわけなかろうが! わしゃ、殺気を感じたで、嬢ちゃんを押し倒したんじゃ!」
「嬢ちゃんは、やめて」

 嵐のような銃撃の中二人は大声で言い争いを始め、陣十郎が再び嬢ちゃんと口にした事により激高したアニーは這いつくばった姿勢のまま陣十郎の着る服の肩口を掴んだ。
 どうしても名前で呼ばない陣十郎に、一発鉄拳をお見舞いしてやろうと思ったからだ。
 しかし。
 その手の感触は。
 いつか父親の、母親の、弟の死体に触れたときに手に付いたそれの感触は。
 生暖かく、彼女の手のひらを深紅に染める。

「あんた……」
「心配ない、いきなり死ぬるような傷じゃあない」
「何馬鹿なことを言って――」
「今� �。それどころじゃないんじゃろ?」

 始めて聞くような、陣十郎の低い声であった。
 アニーは思わず口をつぐんでしまい、未だ止まぬ銃弾の嵐の中ぐっと言葉を呑み込む。

「……外に居る連中は、恐らく『サンド・スネーク』よ」
「昼間言っとった強盗団か?」
「ええ。たぶん、ゴードンかオリバーが連中と鉢合わせたんだと、思う。たぶん……ゴードンね。そうじゃないと、ここに来るはずがないもの」
「だからなんで保安官と連中が鉢合わせたら、ここにやって来るん……ああ、あれか。一人生かしておいた奴が居たの」
「それか、昨日逃げた奴ね」
「ふむ。しかし……」

 陣十郎は床に這い、アニーと顔を合わせる格好のまま視線だけを上に向けた。
 少しでも頭を上げようものならば、� ��方から飛んでくる銃弾に頭を引き飛ばされそうな状況であったからだ。

「どちらにしろ、相手の数は相当なもんだな、こりゃ」
「……これじゃ夜明けどころか、あと十分と持たないわね」
「おいおい、縁起でも無いことを言うんじゃねぇよ」
「ジュウロウ、あんたも折角助かったのにほんと、ついて無い男よね。折角命を拾ったのに」
「おい」
「……まぁ、私も本当なら昨日の夜散々犯されて殺されてただろうし、そう考えればすんなり此処で死ねるだけ、楽なのかも」
「おい、嬢ちゃん」
「……嬢ちゃんは、やめ……」

 陣十郎の目の前にある顔は。
 少女のようなあどけなさを垣間見せながら、絶望と涙をその瞳に浮かべていた。
 アニーは恐怖と悔しさからか、やがて目から涙を溢れさせ て口汚く、彼女が知る限りの言葉で運命を呪い始めた。

「糞! 糞! どうして! どうして、わたしばかりがこんな!」
「嬢ちゃん……」
「ねぇ?! そんなにわたし、悪いことした?! 先週牛の体調が良くなくて、教会に行かなかったのがわるいの?!」
「落ち着くんだ、嬢ちゃん」
「それとも、口説いてくるビルを内心嫌っていたから?! ねえ、これが、これが16から一人で生きてきた私への仕打ち?!」
「なぁ、嬢ちゃん」
「ひどいわ! こんなの、ひどすぎる! 神様はパパもママも、パーシーも奪っておいてこんな、こんな、こんな!!」

 アニーは未だ止まぬ銃弾の嵐の中、半ば錯乱したように泣きじゃくり始めた。
 辛く、貧しく、孤独の日々。
 必死に生きてきた彼女の中の� �かが、この時切れてしまったのだろう。
 死の気配を強く感じ取った彼女は、生の感情をむき出しに神を、運命を、自分の矜持さえ罵倒しはじめる。
 その声は辛うじて言葉となり、くしゃくしゃの泣き顔は大人びていた彼女を少女のそれへと変えていく。
 陣十郎はそんな彼女を黙って見ていたのだったが、やがて弾丸の嵐が再び止んだ頃合いを見て、彼女の目の前に脇差しを差し出して見せた。

「聞け」
「嫌よ、こんなの……どうして、どうしてわたしばかりが……」
「聞くんだ、アニー」

 低くも強い口調で始めて呼ばれた自分の名に、アニーはしゃくり上げながらも陣十郎の方を見た。
 目の前には"百合"と名付けられた、脇差しが差し出されている。

「いいか? お前は助かる。わしが保 証して進ぜよう」
「あん、あんた、何、いって」
「聞け。今から、わしが外の連中を片付けてくる」
「――、あんた、一体、何を」
「お前はこれを持っていてくれ。そして、わしが此処に戻ってきたときに――」


 陣十郎の言葉は、果たしてアニーの脳裏に焼き付いた。
 それは、とても奇妙で。
 どうにも意味不明であり、この時アニーは陣十郎の言葉を微塵も理解してはいなかった。
 ただ、その言葉を口にした後、陣十郎は徐に立ち上がり、ゆっくりと先程よりも更に穴だらけとなった扉へ歩いて行く姿が印象的で。
 何より、壁の向こうから差し込む月の光がソレに反射して、一瞬ではあるが、全てを忘れて見とれてしまうアニーであった。
 それほど美しかったのだ。
 陣十郎が抜き放った、"祟り刀"の刀身が。
 しかし、アニーは知らない。
 陣十郎の左目がこの時、開いていたことを。
 "祟り刀"に捧げられた筈のその目に瞳孔は無く、代わりに血の� ��をした百足がとぐろを巻いて、蠢くその目を。

 そしてアニーにとっては奇跡の夜が、陣十郎にとっては幾度目かの祟り成す夜が始まったのである。

Bullet◎06

 月は弓張り。

 群青の夜空を上弦に登り、赤い荒野を照らしている。
 小さな牧場の、小さな家を取り囲むアウトロー法の外に置かれた者達はその夜、始めて日本刀を目撃した。
 弾丸によってあけられた穴だらけの扉を開き、家の中から出てきた小男がその手に握っていたのである。
 刃長2尺6寸(約79cm)、重ねは厚めで反りは古刀であるらしく浅い。
 銘は刻まれてはいないが鬼目一"蜈蚣"おにのまひとつ "むかで" 》"rp>と呼ばれ、来歴もはっきりとはしないほどの古より在った、百振りの"祟り刀"最後の一差しだ。
 刃は月光を受けて青白く光り美しく儚げに輝いていたが、一筋、赤い血が垂れており刃の美しさをすでに汚しつつある。
 陣十郎がアニーを庇ったときに右の二の腕に被弾した傷から、血がしたたっているが為だった。

「て、てめぇ! よくも出てきやがったな!」

 手首から先が無い男が、もう一方の手で銃を構え憎悪の声を上げた。
 又、無法者達はふらりと家の中から出てきた陣十郎を確認して、一斉に銃を構え照準を定める。
 陣十郎は特に慌ても刀を構えたりもせず、だらりと腕を垂らした姿勢のまま、家を取り囲む男達を見渡した。
 ――数は30から40程。
 馬に跨がって� ��る者、馬から下りている者と様々だ。
 構えている獲物は皆、ライフルばかり。
 いや、自身の目の前にやって来て、銃を構え罵倒しているあの男だけは拳銃だ。
 ……流石に荒野に生きる者として馬が惜しいのか、アニーの愛馬が居る馬小屋の方には人垣が薄い。
 恐らくはクララベルは無事であろう。
 それよりも。
 陣十郎はおぞましき右手の感触に嫌悪を感じつつ、心中で独りごちた。
 ――これだけの人数を斬るには、骨が折れそうだ。
 腕から流れしたたる血は未だ止まらず、また無数の銃口は尚己に向けられているにもかかわらず、その思考は。

「いいか! こいつは俺が殺る! お前ら、手を出すんじゃねえぞ!」

 一方、そんな陣十郎の様子など意にも介さず、手首から先が無� �男は拳銃を掲げながら仲間達に吠えていた。
 己の肉体の一部を奪った相手に対して、その憎悪は強く燃え上がり、闘志となって痛む手首を忘れさせる。
 陣十郎が銃を手にしていない事も、男に勝利を確信させ強気な態度に出させてもいた。
 男は。
 陣十郎に向けた銃の引き金を引けば何時でも終わらせられると確信した、男は。
 唯々棒立ちとなり、家から出てきただけで一向に動こうとしない陣十郎に気が済むまで罵声を浴びせ、命乞いをしろと笑う。
 流石にその表情は確認できないが、家を取り囲む他の男達も恐怖のために動けず、命乞いすらままならない小男に嘲笑を浮かべていた。

「まず、その右腕からだ! てめぇの持っているそのでかいナイフで、同じように手首を切ってやる! いいや� �両手両足をな!」

 台詞と共に、男は引き金を引いた。
 弾丸は陣十郎の肩口を掠めて、背後の扉に当たった。
 陣十郎は未だ、身動ぎ一つしない。

「次に、女だ! 中で生きてんだろ? てめえ目の前で犯して犯して、犯し抜いてやる! ここに居る、全員でな!」

 再び男は発砲した。
 今度は陣十郎の太ももの辺りを掠めて、やはり背後の扉に銃弾が当たった。
 狙いが今ひとつなのは、痛む手首のせいか、それとも嬲る為か。
 陣十郎はじっと"両目"で男を見詰め続け、口を閉ざし続ける。
 その、片方の目には瞳はなく、代わりにナニカが丸く蠢いているのだったが、男達はソレに気付くことはない。

「最後にてめえの体中に鉛玉をブチ込んで、それからそのナイフで体の皮を剥い� �やる! インディアンの連中がするようにな!」

 男はそう言って、今度はゆっくりと銃を構えた。
 狙いは陣十郎の股の付け根。
 今までは、恐怖を煽る為にワザと外していたのだった。
 舌なめずりをしながら、男はゆっくりと引金を引き絞る。
 同時に撃鉄がゆっくりと動いて、遂に雷管を叩いたとき。
 銃声と共に一筋の銀光が陣十郎の前で煌めいて、火花と共にギィン、と金属音を辺りに響かせた。

「へ?」

 予想外の事態に、手首から先が無い男は思わず間の抜けた声を上げ、今、確かに引き金を引いたよな、と思考を巡らせる。
 それから、弾が不発だったのか、それとも痛む手首のせいで力の入れ方を間違えたのか、確認しようと手にした銃を見やった。
 しかし、視線を手元に� ��動した先には。
 先程まで照準を定め、罵倒していた男の姿が見え、代わりに銃を持っている筈の手首が"無い"。
 痛みも感じない。
 ただ、違和感が胸にあって、ソレは徐々に全身へと広がってゆく。
 男は思考が定まらぬまま、違和感の正体を確認しようとして尻餅をついた。
 そして遂に、自分が小男に何をされたのか理解した。
 胸に白く鈍く光る剣が突き立てられていたのだ。
 一体、何時?
 どうやって、距離を縮めた?!
 いや。
 それより。
 これはなんだ・・・・・・
 胸から、切り落とされたばかりの手首から、血が全く出てはいない。
 代わりに、ナニカが体の奥そこで蠢き、血の代わりに吹き出てくる。
 ――否。
 這い出して・・・・・くる、それは。

「ひ、ひ、ひぃ! た、助けて……助けてくれえ!!」

 陣十郎は男の意識の虚を突き、一気に距離を詰めて銃を持つ手首を切り落とし、その心臓めがけて"祟り刀"を突き立てていた。
 その神速に男の意識は付いてはこれず、通常ならばそのまま絶命するはずであった。
 だが、男を刺し貫いたのは、鬼の情念が込められた"祟り刀"である。
 男は心臓に突き立てられた刀を引き抜かれると、絶命するどころかなんと悲鳴を上げ、仲間の元へ駆け寄ってゆく。
 そのあまりに異様な光景に、陣十郎と家を取り囲む男達は射撃を行う事も忘れ、手首から先が無い男へと視線を集めていた。

「た、助けて、くれ、え!」
「ひ?! お、お前――来るな!」

 陣十郎に"祟り刀"を突き立てられた男にすがられた仲間は、間近で見るその姿に思わず悲鳴を上げる。
 その新たに無くした手首から、その刃を突き立てられた胸からは、血の一滴も滴らず代わりに無数の赤い百足が蠢いて居たのだった。
 百足はどこから沸くのか、すぐに男の体を覆う程に増えて、男が縋った仲間もろとも骨も残さずに全て喰らい尽くし消える。
 後に残ったのは、その場に居た者達の耳へと届いた、短くも壮絶な断末魔の叫びだけであった。

「あ、ああ、あああああああああ!!!」

 新たな仲間の悲鳴に、『サンド・スネーク』の男達は我に返る。
 気を逸らしてしまっていたが、いつの間に移動したのか馬に跨がっていた仲間の一人が、陣十� �に切り伏せられ、あの百足の大群に覆われていたのだ。

「こ、殺せ! あの妙なもんを使わせるな!!」

 だれかが半狂乱で叫ぶ。
 男達はすぐに反応し、一斉に陣十郎目がけて発砲した。
 近くにいた仲間もろともに無数の弾丸が陣十郎へと撃ち込まれる。
 だが、その判断は間違いであった。
 陣十郎は巻き沿いになった男達を盾にして、姿勢低く地を駆ける。
 その目は、あるいはその肌は、夜にもかかわらず、正確に自身へと向けられた銃口を把握していた。
 すなわち、致命傷となりえない部位や体を移動させることで掠めてしまうような向きの銃口は放置し。
 致命傷となる、体や頭を正確に狙う銃口には。

「くそ! どうなってやがんだ!!」
「あ、あたらねえ!」
「し、信 じられねえ! 野郎、あの棒っきれで銃弾を打ち落としてやが――」

 男達の罵倒が終わらぬうちに、ぴう、と音を立てて黒い風が一陣、駆け抜ける。
 後には腕に、手の甲に、太ももにほんの毛筋ほどの斬り傷を負った男達が、振り返りもう一度銃を構える姿であった。
 狙いは小賢しくも手にした刃物を振り、走る小男の背中。
 しかし、その引き金を引くより早く、陣十郎に斬られた僅かな斬り傷から無数の百足が吹き出て、見る間に男達を覆い尽くし、喰らい尽くすのだった。

「ひ、ば、化け物!」

 正面から迫る陣十郎の背後に、百足の大群に集られる仲間達の姿を視界に入れながら、その男は遂に悲鳴を上げた。
 地を這う闇のように迫り来る陣十郎へ狙いを定め、遮二無二引き金を引き続ける� �
 しかし、その弾丸が陣十郎へと届くことはない。
 引き金を引き銃声を轟かせる度に、月光を反射した銀の筋と火花が陣十郎の前方に現れるばかりだ。
 やがて夜の牧場に銃声混じりの恐怖の叫び声が満ちて、その数は徐々に減って行った。
 『サンド・スネーク』の男達は、その場から逃げることすらできぬまま、"祟り刀"の贄となりその命を散らしていく。
 陣十郎は男達を逃がさぬよう、馬に乗っていた者達から順に屠り、地に居る者達には最大限の恐怖を与えて引き金を引く以外の思考をさせぬよう努めていたのだった。

 その狙いは実に有効であったらしく、男達はいとも簡単に恐慌へと陥り、地を這うように動く陣十郎へ向けてひたすらに銃を撃ち続けていた。
 彼らの目には、馬に跨がる者� �斬りつけられやすく、背を向けた者からあの恐ろしい刃物で襲われるという恐怖しか映ってはいない。
 なにせかすり傷一つでも負えば、世にもおぞましい死に方で屠られるのである。
 未だ生ある者には、無数の百足にたかられ凄まじい絶叫を上げる仲間達の叫び声が、耳について離れなくなっていた。
 そして、新たな叫びは彼らの判断力をより奪い、一層恐怖をかき立てる。
 ――そう、彼らは間違いを犯していたのだ。
 まだ、人数のあるうちに一目散に逃げるべきであったのだ。
 その、恐ろしい荒魂が宿った刀を見た瞬間に。
 やがて、男達はすべて鬼目一"蜈蚣"おにのまひとつ "むかで" 》"rp>の贄となり骨も残さず消え失せる。
 ただ一人、集団の最も後ろで成り行きを見守っており、早い段階で草むらの中に身を隠していた"指撃ち"バートを除いて。

「化け物め」

 バートは知らず悪態をついて、最後の一人を斬り伏せ、肩で息をしている陣十郎の背に銃を向ける。
 手にした最新型のウインチェスターの照準は、目にした地獄のような光景に小刻みに揺れた。
 一拍おいて、バートは恐怖を殺意で塗り込め震える体を押さえ込み、そして引き金を引く。
 同時に、陣十郎はつむじ風のように身を翻し、銀光と火花が一つ、彼の背後であった空間に出現した。
 バートは舌打ちを一つして、弾を装填し次射に備える。
 が、一向にこちらに斬りかかっては来ない陣十郎に� �ートは緊張がほんの少し、しぼんでゆくのであった。

 ――おかしい。
 なぜ、こちらに斬りかかっては来ない?
 いぶかしげながらも、バートは草むらから体を起こし、敵の姿を確認する。
 月光に照らされた小男は、傍目にも分かるほど疲労し肩を揺らして呼吸を荒げ、体のあちこちから血を流していた。
 恐らくは。
 致命傷となる銃弾のみをはじき、その他は対応してこなかったのだろう。
 バートの思考は、目の前の荒野の魔物のような小男に対して、ほんの僅かな勝機をたぐり寄せていく。

 ――そうだ。
 こいつも、疲れないような、傷を負わせられないような怪物ではない!
 きっと、そうだ!
 あれだけ動けば、常人ならばとっくの昔にへばっている。
 如何に化け物じ� �た動きができるとはいえ、こいつだっていつかは疲れ動けなくなるに違いないのだ。
 現に――
 ドン、とバートの持つウィンチェスターが火を噴く。
 今度は銀光と火花は煌めかず、銃弾は陣十郎のふくらはぎの辺りを掠めて大地に着弾した。

 ――こいつは。
 現にこいつは、はじく弾丸を"選んで"やがる。
 それはきっと、全部はじいていたらそれだけ早く疲れるからだ。
 同時にそれは、こいつが少なくとも、不死身の魔物ではない事を意味している。
 ならばどうする?
 目に見えて疲労を見せている今こそ、この化け物を殺す、いや殺せる機ではないか?
 バートが見た勝機は果たして。

「化け物め、ぶっ殺してやる」

 もう一度悪態をつき、"指撃ち"バートは陣十郎の心 臓目がけ続けて引き金を引く。
 重い銃声とギギンという甲高い金属音が連続して轟き、月光に照らし出された剣閃が火花を散らす。
 しかし、陣十郎は遂に疲労が足に回ってしまったのか、その場から動けずにいた。
 更に、バートが意図的に照準をブレさせて撃っていた銃弾が、肩とふとともに被弾し熱く焼けるような痛みを陣十郎に与える。
 痛みは剣閃を鈍らせ、一層陣十郎の残り少ない体力を削った。
 バートはウィンチェスターに込められた弾丸を全て撃ち尽くすと、間髪入れず腰のホルスターから愛銃を抜き撃った。

 銃声は更に3発、夜の荒野に響く。
 実際には6発の弾丸が発射され、その神速とも言える早撃ちに陣十郎は赤い染みを増やして遂に片膝をついてしまっていたのだった。
 こ� �時、バートは勝利を確信し、悠然と撃ち尽くしたリボルバーに弾を込め直す。
 陣十郎は唯一、相手に斬りかかる機を目の前に、息を荒げ動けずにいた。
 やがて向けられる銃口。
 装弾は6発。
 引き金に指をかける男は、達人の域である。
 ――もはや、これまでか。
 陣十郎は"祟り刀"を握る手に力を込めた。
 すでに銃弾を斬り落とすだけの余力は残っては居ない。
 目の前の男は恐ろしいほどの手練れだ。
 此処で残せば、家の中に居るアニーは只では済まないだろう。
 なれば。

 陣十郎は鬼目一"蜈蚣"を額の前で横に構えた。
 其処にさえ当たらなければ、なんとか相打ちに持ち込めると判断した為である。
 死の覚悟などとうの昔に終えていた陣十郎はこの時、記憶を� ��々に手繰っていた。
 それは"祟り刀"と共に海へ送り出された時よりも更に前。
 恐らくは、受け取れば必ず祟り殺される刀の物語を聞き、いつか生まれて来るであろう守るべき少女の存在を知った時。
 当時陣十郎は案外アッサリと己の運命を受け入れ、あとはどう死ぬか、それだけを考えていた。
 やがて哀れな少女がこの世に生まれ落ち、14年の月日が流れる。
 年の離れた二人が形式上の許嫁として引き合わされた、あの日。
 その一年の間だけ二人に逢瀬を許すしきたりは、陣十郎の心を惑わす。
 百合と名付けられた少女は、意外にも陣十郎によく懐きその運命を呪っていた。
 お慕い申し上げます、と何かと頬を染めながら口にするその姿は、陣十郎の心と士道を激しく揺さぶる。
 親子 ほども離れた年を弁えず、一時期は本気で百合と逃げようかなどとも考えもした。
 しかし結局陣十郎はしきたりに則り、百合と顔を合わせてより一年後、一夜限りの契りを結び"祟り刀"を手に海へと向かう。

 ――守りたい、と思ったからだった。
 手を取り合い逃げたところで、自分はいずれ祟り殺されるのがオチである。
 陣十郎もまた、"祟り刀"に関わる一族だ。
 その真偽はいまさら疑う余地はない。
 故に。
 彼はしきたりに則り、少女に降りかかる祟りをその身に引き受けたのだった。
 少女も結局悲しみながらも、その運命を受け入れた。
 恐らくは今頃百合はどこぞ、身分の高い者の元へ嫁がされているだろう。
 あれだけの器量と家柄だ。
 彼女を妻にほしがる公家や武� ��は星の数程もある。
 そう、新大陸で"祟り刀"に込められた鬼の想いが解けたところで、陣十郎にはすでに帰る場所などなかったのだ。
 にも関わらず、自刃もせず小さな希望を抱き新大陸までやって来た陣十郎の心中は果たして。

「まあ、こんな死に方でも悪かぁねぇな」

 薄く笑い、既に駆け出した足の痛みに耐えながら陣十郎は手繰った記憶をしまい込む。
 最後に浮かんだそれは、百合の笑顔であった。
 次いで見た相手が構えている銃が火を噴いた。
 腹に、腕に、弾丸がめり込む。
 一発だけ、額に構えた剣に当たり火花を散らした。
 そして。
 相手の銃口が己の心臓へ向いたことを陣十郎は感じた。
 まだ、刀の届く距離ではない。
 地を蹴る足は既に思い通りに動かず� ��陣十郎はいよいよ雑念を捨て気力だけで数瞬体を動かせるよう、意志を強く刀に乗せた。
 瞬間、心臓に向いていた銃口が大きくぶれる。
 遠く銃声が聞こえて、なぜか、百合の声が聞こえた。

「ジュウロウ!」

 その叫びは紛れもなくアニーのものであったのだが、不思議と故郷に想いと共に置いてきた少女の声と思えたのだ。
 陣十郎は最後の力を振り絞り、慌てて弾かれた銃を拾うバートへと突進する。
 やがて、荒野に動く者は消え失せ、後には一人力なくへたり込む侍の姿が其処にあった。
 彼の脇では未だ、おぞましい程の百足の群れが蠢いて、その肉をむさぼっている。

「ジュウロウ!」

 もう一度、今度は近く陣十郎を呼ぶ声がした。
 陣十郎は意識を手放しそうになりなりな� ��らも、気怠げにそちらを振り向く。
 そこには、"百合"を預けたあの女が、銃を片手に駆け寄ってくる姿が見えた。
 荒野を群青に染める月夜の下、全ての敵を討ち滅ぼした陣十郎は果たして。

「あいつ、その時私の事を『YURI』って呼んだのよ? 信じられる? 命の恩人に対して。ほんと、頭に来たわ」

 不幸の町、ミスフォーチュン唯一の酒場、『ワイルド・ブル』にて。
 アニーは少し不機嫌にそう語り、グイと手にしたグラスを一気に煽った。
 記者の男は非現実的な話に少し困惑しつつも、それは酷いね、と応じる。
 余程悔しかったのか、アニーはその日彼の前で始めて濃い感情を表に出し、不機嫌に乾燥したコーンを口中へ放り込みボリボリと噛んだ。

「それで、そのあと どうしたんだい?」
「事前にジュウロウに言われた通り、"YURI"を抜いて、唾を吹きかけて彼を……斬ったの」
「へ?」
「言いたいことは分かるわ。私だって、未だに理解できないんだけどね。後で聞いた話、なんでもTATARIを鎮める儀式だったそうよ」
「……ふうん、まるでインディアンの儀式だね。ほら、どこかの部族が体中に骨を刺して倒れるまで踊るっていう、あれさ」
「それは知らない。とにかく、なんだか頭にきてね。つい、思いっきり彼の太ももに刺してやったのよ」

 思い出して少し気が晴れたのか、アニーはフフンと鼻を鳴らし形の良い口の端を上げた。
 記者の男は彼女が語った事実を全て手帳にまとめ、絶句する。
 なんだ、これは。
 こんな、奇妙な事件……どう� �って記事にすりゃいいんだ。
 『サンド・スネーク』壊滅の真実はいいネタなんだが、これじゃ……くそ、この男は"いつもこう"だ。

「信じられないって顔してるわね?」
「まあ、ね。だけど、信じるよ。いや、信じるしかないというか……」
「どういうこと?」

 ほろ酔いとなったアニーの問いに、記者はため息をつきながら手帳の前の方のページをめくった。
 そこをには、以前謎の東洋人について取材した内容がしたためられている。

「実は、前にも"センチピードの男"が関わった妙な事件を追ってね。それがきっかけで彼を追い回しているんだけど……」
「センチピード(ムカデ)の男?」
「そう。最初はインディアンのシャーマンかと思ったんだ。そこでも、ムカデに食い殺された破落 戸が話に出てきてさ」
「どんな話?」
「えっと鉱山経営者をだまして乗っ取ってしまった無法者が居てね」
「うん」
「騙された経営者には娘が居て。で、この無法者の愛人にされそうになったところで"センチピードの男"が颯爽と登場」
「無法者は骨も残さずにムカデに食い殺され、美しい娘は"センチピードの男"に惚れて、甘い夜を過ごすも男はいつの間にか消えた?」
「……当たり」
「マスター! テキーラをちょうだい。今夜は酔いたいわ!」

 アニーは怒声混じりにバーテンの親父を呼んだ。
 その表情は、記者の男が羨むほどにありありと嫉妬が浮かび上がっている。
 程なく運ばれてきた強い酒を、彼女は一気に煽り糞、と小さく呟いた。
 記者の男は彼女が酔いつぶれてしまわ� ��い内に仕事を終わらせるべく、恐る恐る質問を再開することにした。

「で、そのあと……どうしたんだい?」
「……傷だらけの彼を介抱してね。驚いたことに、私が刺した奴が一番の深手だったわ。あのKATRANA、本当によく斬れるの」
「それで?」
「……彼の故郷の話を聞きながら、一月程介抱したの。連中の死体は残らなかったけれど、銃や持ち物は残ってたから賞金は出たわ」
「そりゃ、すごい!」
「ええ、あんなお金を見たの、生まれて初めて。ジュロウはそのお金はいらないって言ったから、私が貰って。それで牛を買ったわ」
「どれくらい?」
「多くはない。一人で見れる牛の数なんてしれてるもの。残ったお金で家を修理して、贅沢しなければ二人でも一生暮らしていける位残ったか� �?」
「二人?」
「……ジュウロウと、二人。きっかけがいつだかは分からないんだけど、気がついてたら私、あいつに夢中になってたのよ」

 そう、吐き捨てるように言ってアニーは新たに供されたテキーラを今度はゆっくりと口に運んだ。
 それで怒りが収まったのか、グラスから口を離した彼女は胸の内を落ち着かせるように深く一度、ため息をつく。


「でね、傷の具合を診ている時に……そうね、あの夜から三日後くらいかな? 私からジュウロウのベッドに入って、抱いて貰った」
「はは、妬けるね。僕もお願いしたい位だ」
「娼婦で我慢しときなさい。この町には居ないけど。……で、彼が突然居なくなったのは、その日から大体一月後」
「なるほど。じゃあ、最後に一つ。今では彼のこと、どう考えてる?」

 記者の質問に、アニーはしばし考え込む。
 その白いうなじは酒のせいかほんのりと朱がさして艶めかしい色気を発していた。
 そして、アニーは初めて記者に年相応の花のような微笑みを浮かべ、愛した男を呪うように口を開く。

「少なくとも、その間だけは私は幸せだったわ。何度も抱いても� ��う度に、涙が出るほど悦んだってわけ。今じゃ、野垂れ死にしろって思ってるけれどね」

 果たして想いは強く、新たな怨念となるかのように陣十郎の元へ届くのであった。

the end

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